紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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日々紋次郎 「旅籠」

日々紋次郎 「旅籠」

日々紋次郎 「旅籠」
*上記の写真は奈良井宿の「越後屋」。寛政年間からの旅籠屋で、現在も旅人さんが訪れる宿。

「旅籠」を「はたご」と読めるお人は、時代劇通のお方とお見受けいたしやす。いい響きでござんすねえ、風情があって。
元は、馬の飼料を入れて、旅などに持ち運んだ竹の籠のことを「旅籠」と呼んだそうでござんす。昔は旅に馬はつきものでござんしたので、人も馬も一緒に泊める宿だったんでござんしょう。
紋次郎兄貴は旅籠には殆ど泊まりやせん。もっぱら、野宿でござんす。泊まるとしても木賃宿ぐらいでござんしょうか。

テレビ版(1~38話内)で宿に泊まるのは、「川留めの水は濁った」「峠に哭いた甲州路」「地蔵峠の雨に消える」「女人講の闇を裂く」「六地蔵の影を斬る」「湯煙に月は砕けた」「水車は夕映えに軋んだ」「飛んで火に入る相州路」「雪に花散る奥州路」ってところでござんしょうか。
結構多いようにも思いやすが、泊まる羽目になったとか泊まらざるを得なくなったとかが多いようで……。

中でも「水車は夕映えに軋んだ」で、旅籠らしき宿で樹木希林さんが朝餉を給仕しておられやした。珍しい光景でござんす。
旅籠では食事が提供されやすが、木賃宿はござんせん。「六地蔵の影を斬る」では、金蔵と宿に泊まりやすが、あれは木賃宿でござんしょう。

日々紋次郎 「旅籠」

*上記の写真は妻籠宿の有形文化財「上嵯峨屋」。江戸中期の建物の木賃宿。

旅籠では風呂もあったようでござんすが、湯を代えることはござんせんから、順番が後の方になりやすと湯がドロドロだったとか。ということで、旅人は少しでも綺麗な湯に浸かりたいと、早めに宿に入るということでござんす。遅れて入りやすと、「もう湯は落としました。」と言われてしまいやす。
午後の3時ぐらいには宿について、早朝4時ぐらいに出立ということでござんす。早朝の出立のときは、宿の者に頼んで弁当を作ってもらいやす。弁当といっても握り飯とタクアンという、いたってシンプルなもんでござんすが。

旅籠代は、幕末近くで二百文前後ということでござんすが、温泉宿だと割高になるようでござんす。また全体的に東海道沿いの宿は高額だったようで、中山道や地方になりやすとそれより五十文ぐらい安いようでござんす。
木賃宿となるともっと安く、五十~六十文ぐらいで泊まれたようでござんす。昼飯代が五十文~百文ぐらいということなんで、それを目安にいたしやすと今の世の中だといかほどになるんでしょうかねぇ。

江戸後期で金1両=80,000円 銀1匁=1,400円 銭1文=20円ということでござんすから、さしずめ旅籠で4,000~5,000円、木賃宿で1,000円ぐらいでござんしょうか。
木賃宿は字の通り、木賃(薪代)を払って自炊するのが原則でござんす。
旅籠でも相部屋は珍しくはござんせんが、木賃宿は全部相部屋、いろりのある板の間に客は雑魚寝でござんす。

木賃宿より少しましなのが商人宿。行商人などが泊まる定宿でこちらも相部屋が原則でござんしたが、食事は提供されやす。「女人講の……」のお筆の宿はそれにあたりやす。
飯盛旅籠は「雪に花散る……」で、勘助と泊まった宿でござんす。飯盛女を置かない宿のことは「平旅籠」と呼びやした。
飯盛旅籠については、またの機会にいたしやしょう。

旅籠屋の数は宿場によってかなり差があり、東海道の熱田(宮)宿は284軒でトップ、2位が桑名の120軒、3位が岡崎の111軒。
中山道となりやすと深谷の80軒、塩尻の75軒が多い方で東海道とは開きがありやす。中山道の大半の宿は、40軒も満たない旅籠数であったということで、東海道と中山道との宿場の大きさ、繁栄ぶりには歴然とした差があった訳でござんす。

因みにあっしは、どちらかと言いやすと中山道の方が風情があって好きでござんす。その昔は「中仙道」と書いたそうでござんすが、1716年(正徳6年)江戸幕府からの通達で、「中山道」となりやした。しかしながらしばらくは、「中山道」と「中仙道」の表記は混在していたようでござんすが、本居宣長が「中山道」に統一すべしと進言いたしやしたとか。(あっしの記憶に間違いがなければ……)

今でも、当時の旅籠屋を続けておいでのところがいくつかありやす。今のあっしの夢は、そういう旅籠に一泊草鞋を脱ぎたいことでござんす。
できれば、その当時のくらしのまま泊まりたいもんでござんすが……。
贅沢志向な旅もよござんすが、たまには足りねぇぐらいの質素な旅も、往時を偲ぶにはいいもんでござんしょうよ。

それでは、どなたさんも御免なすって。

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Re: 日々紋次郎 「旅籠」

お夕姐さん、お初にお目にかかりやす。お夏と申しやす。
もう37年にもなりやすか…あっしは小学生でござんしたが、惚れてましたねぇ、紋次郎の兄貴に。
すっかり思い出すこともなくなっていたんですが、最近になって時代劇チャンネルでお会いし、惚れ直したってことなんで。
お夕姐さんの瓦版には感謝しておりやす。勉強になりやす!
それじゃあ姐さん、次の瓦版も楽しみにしてますぜ。おじゃまいたしやした。

  • 20091026
  • お夏 ♦-
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Re: 日々紋次郎 「旅籠」

お夏さん

草鞋を脱いでいただきありがとうござんす。
小学生でござんしたか、当時。年若いというのに、見る目がござんしたねえ。恐れ入りやす。
再放送で、焼けぼっくいに火が付いたお方もたくさんおられるようで……。
いい漢と良い作品は、不滅ってことなんですねえ。
これからもよろしく、お引き回しのほどをお願い致しやす。

  • 20091026
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎 「旅籠」

お夕さん、こんばんは。
いやあ面白いですね。宿にもそんな違いがあったんですね。「六地蔵」の雑魚寝の宿なんかいかにもぶっそうですよね。おちおち寝てもいられないというか、いつ寝首をかかれてもおかしくないというか。紋次郎もあれだけ気を張っていたら熟睡できなかったでしょうね。それにくらべれば現代はありがたいですね。1両が8万円ですか。10両盗めば首が飛ぶというのはきついですね。紋次郎が博打で勝って小判を置いていったりするのは、それじゃめちゃくちゃ気前がいいですね。

Re: 日々紋次郎 「旅籠」

八朔さま、コメントをいただきありがとうございます。
旅人にとって一番難儀なのは、川留めだったようです。旅籠は超満員になりますし、宿代は増えるしで、路銀が底をつく人が大勢いたとか……。自然には逆らえない世の中だったんですね。
今は気楽に旅に出かけられますが、昔は水盃を交わして旅に出るぐらいの覚悟が必要だったようです。
とにかく紋次郎兄貴でなくても、自分の身は自分で守るという気構えがなくては、旅はできなかったんですね。

  • 20091027
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎 「旅籠」

お邪魔いたします。

昔、私の実家の近所に「きちんどん」という屋号で呼ばれていた御宅がありました。
ごく普通の住宅でしたが、きっとご先祖様が木賃宿を営んでおられたのでしょうね。
田舎には結構昔の名残があるようです。

  • 20091027
  • マイタ ♦B2BsuZNw
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Re: 日々紋次郎 「旅籠」

マイタさま、コメントをいただきありがとうございます。
屋号の残るお宅っていいですね。
元宿場町を訪れますと、今も屋号を掲げておられるところがあります。
後世に残してほしい庶民の歴史ですね。

  • 20091027
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 日々紋次郎 「旅籠」

お夕様。こんばんは。
今週、月曜日から水曜日まで二泊三日で日光、草津、善光寺に行って来ました。ついに生まれて初めて関八州に足を踏み入れた訳です。(笑)
初日は台風と一緒の上京で、日光は土砂降りの雨の中参拝。ビショビショになりました。((+_+))でも、段々と天候は回復し、最終日の信州ではぽかぽか陽気で快晴。覚悟して着込んでいたら暑いくらいでした。
当然、昔とは道も風景も変わっているでしょうが、自分の目で妙義山、赤城山、浅間山を見て、まわりの山々を眺めながら、紋次郎も同じこの風景を見たんだな・・この峠を越えたのかな・・とか思い、すっかりお夕様の「存在しているけど実在していない」と言う感覚が乗り移ったかのようでした。
山々も紅葉で美しく、私の住む四国とは全く違った雄大さで感動しました。西日本では石鎚山と言うのが1983メートルで最高峰でからね。
バスで「下仁田」「藤岡」とか聞きなれた地名を聞く度に嬉しくなったりしましたよ。ここにはこんな名の貸元がいたな・・とか思って。(*^_^*今回、東京、埼玉、栃木、群馬、長野と駆け抜けたわけですが、群馬のお土産屋さんで売られている名産品の「こんにゃく」や「しみとうふ」とかの乾物類を見ると、本当に貧しい土地だったなんだな・・と実感しました。
火山灰土で米とかは不作だったでしょうしね。
でも、やはりお夕様の言われるように昔の面影の残る場所を昔のような旅をしてみたいですね。
「紋次郎ツアー」の実現を熱望します。(*^_^*)

  • 20091030
  • sinnosuke ♦Mf4VKWco
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Re: 日々紋次郎 「旅籠」

sinnosukeさま
お帰りなさい。お疲れ様でした。
上州や信州の紅葉を満喫されたようで、良かったですね。お父様にもお喜びいただけましたか。
知っている地名を聞く度に……というお気持ち、よくわかります。
近代化され町並みや街道はすっかり変わったでしょうが、山並みや木々、沈む夕日などの大自然は、きっと当時の紋次郎の姿を記憶に止めているにちがいありません。
そう感じるだけで、景色の見方がコロッと変わりますよね。胸に吸い込む空気さえ、違って感じます。
そういう楽しさは、やはり旅ならでは……だと思います。
少々の峠越えや夜旅ぐらいなら、紋次郎さんについて行けるように、最近ウォーキングをして足腰を鍛えています。
でも、「あっしの旅は独り旅ときめておりやすんで……」と言われるのがオチなんでしょうが。

  • 20091031
  • お夕 ♦wikz35BA
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