紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第3話 「峠に哭いた甲州路」

第3話 「峠に哭いた甲州路」


第3話 「峠に哭いた甲州路」
原作(1971)  放映(1972.1.15)

紋次郎の連載と同時期(昭和46年)に、文藝春秋から4作品を収録した「雪に花散る奥州路」の単行本が発行された。この「峠に……」はその中に収録されている。
「天神の新十郎」という渡世人が主人公であり、テレビ版の展開はほぼ原作通りであるが、最後に新十郎と大関の村の関係が明かされる。
大関の村人たちに片腕をもがれ、復讐に燃える源太役は、中村氏と同じく俳優座に所属していた「原田芳雄」である。ギラギラした執念を感じる個性的で野性味ある風貌は、紋次郎とは対照的である。

この回ではお妙との会話で、紋次郎の心情の奥底が吐露される。
「あっしにはたった一人会いてぇ人がいる。会えっこねぇんだ、死んだってことなんですからねえ。だけどあっしの胸からどっか行きやぁ、ひょっとしたら会えるかもしれねえってそんな気持ちが消えねぇ…」
会いたい人は姉のお光なのは言うまでもない。原作は新十郎なのだからこんなセリフは書かれてはいない。市川監督はここでも、姉のお光に対する紋次郎の気持ちを語らせている。
市川監督の構想では、「地蔵峠の雨に消える」で紋次郎をかっこよく登場させ、この「峠に哭いた甲州路」で、たった一人会いたい人を求めて旅をする紋次郎の心情を表し、第3話「川留めの水は濁った」でその人物は姉のお光であったという運びだったのではないだろうか。
しかし、実際は第3話が前倒しになってしまった。

この「峠に…」の時の紋次郎の行動は冷たい。源太が村人を皆殺しにしようとすぐそこまで来ているのに、一言もそれについて村人には知らせない。村人が死の間際で助けを求めても、「大関の衆には何の義理もござんせんので……」と、立ち去ろうとする。
お妙にはあんなに憐情のこもった表情を見せたのに、関わりがないと言えばそれまでだが、どうもしっくり来ないと思っていた。
テレビ版だと紋次郎は、渡世人やよそ者に排他的で差別的な態度をとる村人だから、義理だてしないという風にしかとられない。
本来紋次郎にとっては、堅気から蔑まされたり、人間らしい扱いをされないことなどは、当たり前のことで辛くも悲しくもないはずなのだ。
そのあたりは新十郎と紋次郎の設定の違いからくるものである。

実は新十郎の生まれ故郷はこの大関で、父親の些細な咎で村八分になり、この村を逐われ、幼くして両親を亡くすという生い立ちであったのだ。新十郎にとっては源太と同じように、この大関の村は恨みこそすれ義理のある土地ではなかったのだ。だから源太に少なからず同情をしたのだった。
番組内の紋次郎は、「なんで源太をかばうんだ?」の問いに
「土地が貧しいと悲しい話が多いもんだと思いやしてね」
と答えているが、問いの答にはなっていない。
明らかに自分の生まれ故郷、三日月村と大関の村をオーバーラップし、村はずれの間引き地蔵にも言及し、思い出したくない自分の過去とを重ね合わせている。

お妙から別れ際に手渡された白い野菊の花…これは原作通りだが、紋次郎にとって野菊は姉のお光を彷彿とさせる象徴的なものである。
(それについては、「飛んで火に入る相州路」で明らかにされる)野菊が風に吹かれ、はらはらと花弁が散る…逡巡した紋次郎が野菊を叩きつけ草鞋で踏みにじり、踵を返す場面は原作と同じであるが、村人が乗ってきた馬に飛び乗り大関に向かう新十郎に対して、紋次郎はひたすら走る。
中村氏自慢の脚力の見せ所である。棚田を一気に駆け上り、走りながら敵に刃を向ける。敵が刀を吹っ飛ばされ、あたふたして丸腰で紋次郎に組み付くシーンなどは、今までにない殺陣で臨場感がある。
ラストのクライマックスでの源太とのチャンバラでも、源太は長ドスを取り落とすがカメラは回り続ける。どちらも計算された演技ではないように思われる。人間、切羽詰まると演技抜きの行動をとるものだ。リアリズムを追求した市川監督の精神はこの後、他の監督にも受け継がれることになる。

源太に斬られ瀕死状態のお妙に「さあ、急がなくちゃあなりませんぜ」とお妙を抱き起こし背に負う紋次郎。
原作と同じであるがラストは違う。
原作では新十郎は自分の生い立ちをお妙に聞かせる。
「新十郎さんは、大関の衆を恨み、憎んでいたでしょうに……」
「だから、あっしは手を貸したくはなかったんでござんすよ」
「大関に寄ってみようなんて、気紛れを起こさなければよかったんです」
「それが不思議なもんで、憎い連中がどうしているか、ちょいと気になりやしてね」
「そのために、憎い連中の命を助ける羽目になって……」
「世の中は皮肉にできているんでござんしょう」
「わたしも、この眺めを生涯忘れることはできません」(原作より抜粋)

お妙は峠の向こうを眺めながら息を引き取る。
しかしテレビ版では、峠に着く直前に紋次郎の背中でお妙はひっそりと息を引き取る。
願いを叶えてやれなかった紋次郎は、暫し静かに目を閉じお妙を静かに木の根本におろし、峠の向こうにそっと顔を向けてやる。
「これが峠の向こうでござんすよ、お妙さん」
お妙の着物の裾が風に吹かれて乱れるのを、紋次郎は楊枝で留める。
「川留めの水は濁った」の原作で、姉のお光にそっくりなお勝の着物の裾を楊枝で留める使い方をここで取り入れた訳である。
楊枝の使い方としてはこの回が一番の絶品である。
感情を殆ど表に出さない紋次郎が、峠から遠くを眺め佇むエンディングというのもめずらしく、切ない。

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Re: 第3話 「峠に哭いた甲州路」

今日「甲州路」を読み返して、物語の設定場所になっている九一色郷は、あの大事件で有名になった上九一村周辺だったのだなあと思い当たりました。遅すぎますが(苦笑)何せ、地理には弱いもので・・・。

九一色村は調べると、家康に由来する歴史のある場所で、村名の存続を検討したようですが、事件の暗いイメージを払拭できず今は消滅しているようです。

ワイドショーで目にした、朝もやの中、鳥かごを持ち続々と捜査員が異様な建物を目指して歩いていた緑豊かな静かな山間の村を、その昔に紋次郎(新十郎)が歩いていたのかと思うと、もう少し捜査員より景色に注目しておけば良かったと後悔。

私は高校までとんでもない田舎の離島に住んでて「甲州路」のお妙のように、「あの海の向こうの陸地をみてみたい、映画館やデパートや、喫茶店があって、人が沢山でにぎやかなんでしょうね・・・」と。

少々オーバーですが、日帰りが出来なかったのは確かです。台風が来るともう最悪。

蛇足ですが、√3の語呂合わせ「ふじさんろくに・・・」は余りに未来を予知していて、怖いぐらいですね。

  • 20090523
  • おみつ ♦aiP0wTO2
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Re: 第3話 「峠に哭いた甲州路」

おみつさま、コメントをいただきありがとうございます。
私も地理に弱いというか、筋金入りの方向音痴でして、「流れ舟……」のお藤も真っ青といった感じです。
紋次郎が歩く街道筋はどこも興味がありますので、そちらの方面に行く時は必ず下調べをして、何冊か持って行きます。
その地名に行き当たると、紋次郎とめぐり会えそうな気持ちになり、思わず探してしまいます。
紋次郎が辿った街道を、実際に歩くファンもおられたようですが、お気持ちはよく分かりますし、私も許されるならやってみたいです。
しかし、前述しました通りの方向音痴ですので、とんでもない方角を向いて歩いていきそうでやっぱり無理かと……。

  • 20090523
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第3話 「峠に哭いた甲州路」

紋次郎シリーズの最高傑作と言われて本作品、なるほど!原作との違いはそういうことだったんですね。勉強になりました。

非常に楽しく興味深く読ませていただきました。ありがとうございました。

  • 20090714
  • カミヤッカー ♦a2H6GHBU
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Re: 第3話 「峠に哭いた甲州路」

カミヤッカーさん、コメントをいただきありがとうございます。
お近づきになれて、うれしく思っています。
原作との違いを考えると、映像化の趣旨が垣間見られ、2倍楽しめる趣があります。
今後ともよろしくお願いいたします。

  • 20090714
  • お夕 ♦wikz35BA
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原作読みました。

お友さんこんばんは 今日はドラマで見逃した名作として人気の峠に哭いた甲州路読みました。新十郎も源太も大関の村を追い出された同じ境遇だったんですね。源太がお妙さんを斬りさえしなければもしかしたら新十郎は源太を斬っていなかったかもしれませんね。YouTubeで紋次郎とお妙さんの峠でのラストのシーンを見た事がありますがテレビ版の方はすでに息を引き取っていて原作よりなんか切ない気持ちになりました。

  • 20141004
  • ボバチャン ♦-
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Re: 第3話 「峠に哭いた甲州路」

ボバチャンさま、コメントをいただきありがとうございます。

閉鎖的・排他的な大関の村人たち……。
農民は、善良で世話好きな素朴な人たち、という思い込みが壊されました。

貧しさは、人の心も貧しくしてしまうのかもしれません。三日月村も、貧しい村でした。
そんな貧しい村で生まれ育った紋次郎なのに、一線を画した人格を持つようになったのはなぜなのか……深い考察が必要ですね。

原田芳雄さんが、お亡くなりになっていることが、本当に残念です

  • 20141005
  • お夕 ♦wikz35BA
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