紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第24話「女郎蜘蛛が泥に這う」(後編)

第24話「女郎蜘蛛が泥に這う」(後編)

第24話「女郎蜘蛛が泥に這う」(後編)
(原作1972年 第17話) (放映1972.12.23)
原作のお甲とテレビ版のお甲とは設定がかなり違う。明らかにテレビ版の方がずっと性根が悪く、強欲である。
原作ではお甲も千代松も、元は裕福な名主の出である。しかしお勝の兄、与吉郎が、不帰依を訴えたため没落の憂き目にあう。その恨みでお甲はお勝を毛嫌いし、昔のような贅沢がしたくて千代松に盗人働きをさせている、といった設定である。名主という名家出身なので、原作でのお甲は「顔に気品のある老婆だった」と風貌の説明があるが、テレビ版のお甲は女郎をしながら苦労して千代松を育てたという設定になっているので、北林女史には気品を求めていない。

なぜ、お甲の出自を変更しているのか。
題名である「女郎蜘蛛……」から女郎を連想したのだろう。
原作の人間関係は、かなり複雑であり、お甲がお勝を毛嫌いするのも頷ける。しかしテレビ版のお甲は原作より数倍凄まじい。金づるの千代松を取られそうになったため、お勝を殺し紋次郎の仕業だと与吉郎に吹き込む。
そしてお甲は、お勝のこの言葉にカッとなる。
「あの人のおっかあは、今日から私なんだ!」

本当にお勝は千代松にとって母親のような存在であり、お甲よりずっと健気で母親らしい。お勝を殺したのは欲深さだけでなく、自分の伜を女に取られることに対する嫌悪感の方が強かったからだろう。
その上その罪を紋次郎に着せることで、千代松の腕は斬り落とされずにすむ訳である。よく考えられており、原作よりおもしろい展開である。
与吉郎一家で紋次郎は、お勝を殺したのは紋次郎だと名のる生き証人としてお甲を目にする。

このときの紋次郎の驚いた顔は、無表情であることが多い中、珍しい。その後紋次郎は、くわえていた楊枝を投げ捨てる。かなり怒っているようである。
裏切ったお甲に対しての怒りか、お甲を信じた甘い自分に対する怒りなのか。
与吉郎の「言い分があったら聞くぜ」の言葉に、「言い訳する気もござんせんよ」と返す。
「新木枯し紋次郎」の決め台詞「あっしには言い訳なんぞござんせん」と似ているが、言い訳する気も失せるほど惨憺たる状況である。

原作ではお勝は殺されることはなく、与吉郎一家の子分を使って紋次郎を襲わせる強気な女である。また最後まで、お甲が陰で千代松を操っていたことを知らずにいる。
テレビ版の与吉郎は、妹のお勝が紋次郎に手籠めにされ殺されたと思いこみ、意趣返しのため刃を向ける。

この時の紋次郎の殺陣のスピードはすばらしい。紋次郎の殺陣はロケ現場の山野や田んぼ、河原を走り回り転げ回るダイナミックなシーンで有名だが、この作品はセット内での撮影である。
まず峰打ちである。峰打ちの方が刀で殴りつける感じで荒々しく、私は好きである。
狭い部屋の中、子分たちが入り乱れ、紋次郎は動き続ける。狭い階段をかけ上がり、下り際には前転をする。長脇差を持ったままである。よくケガをしないものだと感心する。この階段はもしかしたら、第1回の放映「川留めの……」のアバンタイトルで使われたものか。

カメラは梁の上から見下ろすアングルで回り続ける。
庭に降り立った後の殺陣も俊敏な動きで目が奪われる。一瞬にして敵をたたき伏せ、与吉郎に長脇差の切っ先を向ける。
「峰打ちだ。お勝さんを殺したのはあっしじゃねえぜ。」
素早く刀を鞘に収め合羽を翻して去る紋次郎に、呆気にとられる与吉郎の顔。ため息が出るほどかっこいい。
合羽が翻るときの音は効果的で、私は大好きである。

第24話「女郎蜘蛛が泥に這う」(後編)

今回のテレビ版の紋次郎は、一人も命を奪っていない。お甲の虚言に踊らされて向かってきた敵であるので、殺すことはしない。
無益な殺生はしないのが基本である。
原作でも「命を粗末に、するんじゃあねえ。今度は、峰を使わねえぜ」と警告している。それでも敵は襲ってくるので、やむを得ず長脇差を振るう。そして千代松も大声で喚きながら巨体をぶつけてくるところを、紋次郎の諸手突きに倒れる。
そして自分一人では何もできず、母親に怒鳴られて悪事を働いていたこと、盗んだ金は全部母親の懐で自分は一文も持っていないことなどを告白して事切れる。

テレビ版での千代松は、母親としぶしぶ連れだって歩く。
紋次郎は追分で立ち止まり呟く。
「どっちへ行くか……いずれにしてもあの親子には二度と会いたくはねえ。」
しかし、この先会ってしまい、また独り言。
「いけねえ、会いたくねえのに会っちまった。」

今回の紋次郎はよく呟く。アバンタイトルでも商人に間違った道を教えてしまい「いけねえ、間違えた。」と口にする。
小説であれば、紋次郎の心内を書き表すことができるが、ドラマではそうはいかない。芥川氏のナレーションも事実だけの説明で、人物の心内には触れないので、自然と独り言になってしまう。

本当に紋次郎にとっては会いたくなかった二人なのだ。利己的で独占欲の塊のようなお甲に、一時はコロッと紋次郎は騙されたのである。
またそんな母親に頭が上がらず、惚れた女一人も守れなかった千代松の情けない程の自立心のなさ……言い訳する気も起こらない空虚さの元凶はこの二人なのだ。

「食うものも食わず、育てた」「自分の思い通りにしてどこが悪い」「親孝行してもらってどこが悪い」と居直るお甲に、紋次郎は「間引こうと盗人させようと、親なら構わねえと言いなさるんでぇ?」と自分の生い立ちも含めて尋ねる。
「ああ、決まってるよ。」との答えと同時に鞘走り、千代松の左腕は斬り落とされる。

この後のお甲の顔は、本当に鬼気迫るものがあり怖い。メイキャップも随分変えてあるのだろうが、ゾッとする目だ。睨みつけるお甲の横にツーッと女郎蜘蛛が降りてくる。紋次郎はお甲のかわりに、女郎蜘蛛に楊枝を飛ばす。
お甲は女郎蜘蛛であり、女郎蜘蛛はお甲だったのだ。自分の伜千代松をお甲は、血の繋がりという糸で縛り付けていたのである。

千代松は左腕を失った。しかしこれで大した悪事はできないだろうから、母親の呪縛から解かれるかもしれない。
今回は一番のワルであるお甲は、命を落とすことも傷を負うこともない。紋次郎の鉄則からいくと「堅気、女、年寄り」ということで、ドスを向けることはなかったが、お甲の一番大事な千代松の左腕を叩き斬った。原作より私は、テレビ版のケリのつけ方のほうがしっくりきて好きである。
この後この母子は、どんな生き方をするのだろうかと想像を膨らます。人の情けに縋って、泥に這いずるようにして生きていくのだろうか。

「やっぱりこの世の中、おふくろなんてものはありやしやせんでした。」
「やっぱり」の言葉が哀しく虚しく響く。
無償の愛というものは、幻影でしかないのだろうか?

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Re: 第24話「女郎蜘蛛が泥に這う」(後編)

お夕さん、こんばんわ。

「女郎蜘蛛」と「夜泣石」の頃の紋次郎の殺陣シーンは本当にカッコよくてダイナミック、何よりセクシーですね。

何故、殺陣シーンにセクシーさを感じるんでしょうか? 

個人的には、敵地で大勢に囲まれた絶体絶命の中で、紋次郎の命の輝き・生へのこだわりが感じられるからだと思っています。

「流れ舟」にも見られた紋次郎でのコミカルさ・・・草鞋を投げて行き先を決めたり、「いけねえ、会いたくねえのに会っちまった。」とつぶやいたりに・・・「やっぱりこの世の中、おふくろなんてものはありやしやせんでした。」の台詞が紋次郎の生い立ち・出自の哀れさをより際立たせていて「女郎蜘蛛」は「甲州路」に次ぐ好きな作品です。









  • 20091108
  • おみつ ♦aiP0wTO2
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Re: 第24話「女郎蜘蛛が泥に這う」(後編)

おみつさま、コメントをいただきありがとうございます。
仰るとおり、セクシーですよね。
子どもの頃はその魅力が何だったのかわからなかったのですが、今頃になってわかるようになりました。
杉良太郎さんのような、余裕のある流し目の色っぽさではないんですね。
紋次郎には、人間の奧深くにある本能のような、ギリギリのセクシーさを感じます。
懸命に敵と対峙している紋次郎を見ていると、思わず涙ぐんでしまったりします。(歳を重ねて、涙腺が弱くなったことも多分にありますが)
なんで報われないんだろう、微笑みに、なぜあえないんだろう、と理不尽な結末に虚しくなりますが、紋次郎は泣き言一つ言いませんし、当然という面持ちで旅を続けます。
それが哀しいのですが、作品の魅力でもありますね。
本当にこのシリーズは、語り尽くせない魅力があります。

  • 20091109
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第24話「女郎蜘蛛が泥に這う」(後編)

お夕様。こんばんは。
私も中村紋次郎にセクシーさを感じている一人です。日本の男優さんで大人の男の色気を感じるさせる方は少ないですよね。
紋次郎の心の奥底の哀しみや怒り、そして優しさ・・無表情な中に時折ふっと現れる表情にドキリとさせられます。そして、紋次郎が生きていると唯一感じられるのは、自分が望まなくても巻き込まれる死闘の中だけじゃないのかな・・。孤立無援で必死で戦う姿に本当に涙が出ます。私が泣けてくるのは「月夜に吠えた遠州路」で川の中で30人を相手に戦うところです。テーマ音楽がかかって、さらに気分は盛り上げられ、もう本当に母性本能がくすぐられると言うか・・紋次郎がとても可哀そうになってしまうんですよね。命を助けてやった三代目も助っ人にはなってくれないわけだし。人を助けても恨まれ、裏切られ・・それでもそれを当然の事として受け入れる。人に対し期待する事もないから報われなくとも恨まない。
そう言う所も学ぶべき所だと感じます。

  • 20091110
  • sinnosuke ♦Mf4VKWco
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Re: 第24話「女郎蜘蛛が泥に這う」(後編)

sinnosukeさま、コメントをいただきありがとうございます。
確かに「月夜に吼えた……」の殺陣シーンは、多勢に無勢状態です。全く不利な状態ですが、最終的には一人で一家を全滅させます。文句なしに強いです。
紋次郎に惚れ込んでしまった者にとっては、ただ佇んでいるだけでも、そのシルエットに見惚れてしまいますよね。
シリーズを通してヒーローが独りだけということで、ファンにとっては本当に密度の濃い時間が過ごせて幸せです。
「水滸伝」もステキなんですが、回によっては最後にちょこっとしか登場しないときもあり、残念……という場合もありましたから……。
「木枯し紋次郎は」はその点、敦夫さんの魅力が凝縮された値うちものですね。

  • 20091111
  • お夕 ♦wikz35BA
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  • 編集 ]
Re: 第24話「女郎蜘蛛が泥に這う」(後編)

お夕さん、こんばんわ。
コメント頂戴して嬉しかったので早速やってきました。一応リンクは貼らせて頂いているのですが、マイぷれすのお仲間分だけで読むのに忙しくなかなか読めずにすみませんでした。m(_ _)m

今、確か午前中に再放送やっていたんですね。この回の最後の10分間分くらい見ました。
そう。北林谷枝?がいつもながらいい味出してましたね。
ああ、この回は誰も命を落としていなかったのですか。最後に腕を切られたのはあれはあれで衝撃的でしたが・・・。

それにしてもお夕さんといいおみつさんといい、観察眼が豊かですねえ。感心します。本当に紋次郎の一挙手一投足が語ることを見逃すまいとしてみていらっしゃるのですね。こういう見方をされると中村敦夫はじめ作られた監督さんや俳優さんたちもさぞややり甲斐があるでしょうね。
( ^-^)

お夕さん、ちょっとお話がありますので上のアドレスへメール頂けますでしょうか?
よろしくお願い申し上げます。

Re: 第24話「女郎蜘蛛が泥に這う」(後編)

九子さま、コメントをいただきありがとうございます。
北林谷栄さんは、よいお婆さんでも悪いお婆さんでも(笑)、どちらも演じ分けられるすごい女優さんですね。

最近、年相応に老眼が進んできたようで、活字や映像を長時間見ていると、疲れが出るようになりました。困ったものです。
好きな人のことですから楽しいのですが、文才がないのと、構成力がないので記事を書くのは苦労しています。

時間をかけて、ラブレターを書いている想いです。

  • 20091121
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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