紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

紋次郎の影を追う 「奈良井宿」
以前街道の中では、中山道が好きだと書いたことがあります。
中山道はご存知の通り、五街道の一つで江戸と京都を結ぶ重要な街道です。
東海道に次ぐ街道でありながら、山脈や山地を数多く通り、東海道より宿場は多いのですが、通行数や規模としてはかなり差があったようです。
しかし紋次郎の歩く街道としては、やはり東海道より中山道が似合います。

紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

*旧中山道。樹齢数百年の杉や欅の大木が、両脇から影を落とします。
  夏の日差しが遮られ、涼風を感じる瞬間です



紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

*並木の旧中山道を抜けると二百地蔵が並びます。
 無縁仏となっていた仏様を、ここに集められたとのことです。
 行き倒れになった旅人の石仏群は、何を語るのでしょうか。


私が初めて中山道の宿場として訪れたのが、この奈良井宿です。
その昔奈良井宿は「奈良井千軒」と呼ばれ、旅人がたくさん行き交ったという宿場です。

紋次郎の影を追う 「奈良井宿」


奈良井宿は明治時代の道路改修の際に、国道からはずされたため、宿場時代の町並みがよく保存されています。
昭和53年には「伝統的建造物群保存地区」の指定を受け、現在に至っています。
開発されなかったことが幸いしたのかもしれませんが、ここを訪れるとタイムスリップをしたかのような錯覚に陥ります。
宿場の向こうには、難所とされる鳥居峠があります。

紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

鳥居峠と言えば「一里塚に風を断つ」で、酒癖の悪い小天狗の新八に紋次郎は難癖をつけられます。襲ってきたのでやむを得ず体をかわしたため、新八は崖から落ちてしまい、それが事件の発端となります。この後紋次郎は、峠を下ります。
「藪原までの十二丁の間に、一軒の人家もなかった。ただ一軒掛け茶屋があった。」と原作には書かれていますが、実際「五街道細見」を見ると奈良井と藪原の間に、「宿より十二丁一軒家」と記されています。
笹沢氏の資料の読み込みのすごさにびっくりします。

紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

また「無縁仏に明日をみた」では、紋次郎はお妻を背負って峠越えをしています。ひと一人を背負って、平気で峠越えをする強靱な身体に頼りがいのある魅力を感じます。

奈良井宿が舞台となる代表的な作品は、「命は一度捨てるもの」です。

「贄川から一里三十町、約七・六キロで奈良井宿である。贄川の御番所から妻籠と馬籠の中間にある御番所までの二十一里、約八十四キロを東木曽路と呼んでいる。奈良井はその東木曽路で、上松に次ぐ大きな宿場であった。
住民の数二千百五十五人、人家四百九戸、旅籠屋五軒、本陣と脇本陣が一つずつという奈良井宿である。」
「いかにも東木曽路の宿場らしく、山の懐に抱かれて眠っているように、のどかな雰囲気だった。冬になれば厳しい寒さに、宿場の感じも引き締まったものになる。だが、真夏の奈良井は明るくて、旅人たちに山河ある故郷を思い出させるのであった。」
(原作より抜粋)

紋次郎の影を追う 「奈良井宿」


紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

*共同水場は宿場内に数カ所あります。
 往事の旅人の喉を潤した清水は、今もそのままでした。

ここで紋次郎は幼馴染みに出会い、事件に巻き込まれ苦境に立たされます。そしてまた医者の玄斎を背負い、鳥居峠を越えるという体力勝負となりますが、苦労して救った命を自らの手で断つというラストは衝撃的でした。

私は原作と同じ季節の真夏に訪れたのですが、記述通り陽光明るく、のんびりした時を過ごせました。
昔ながらの旅籠も何軒かあるようで、一度は泊まりたい所です。

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Re: 紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

お夕さんこんばんは。今でもこんな風情のある宿場が保存されているんですね。私が生まれ育った家も借家の長屋でして、表は店で、真中は長屋なので窓のない部屋で裏口から裏の私道に出られたものの桜の木には毛虫が鈴なりで、凶暴な犬もいてもっぱら店から出入りしていました。もっともこんな木造の長屋ではなく、コンクリート製でしたが。それでもなぜかなつかしいものです。最近自分が子どもだったころのものに惹かれますね。馬篭妻籠には修学旅行で飛騨高山に行った時立ち寄ったことがありますが、奈良井は行っていないですね。七夕でしょうか、それらしき飾りが見えるような、いい写真ですね。奈良井と言えば「湯煙に月は砕けた」の奈良井の権三が思い浮かびます。紋次郎を渡世人として認めて誉めていたので何となく憎めない愛嬌がありました。

Re: 紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

お邪魔いたしやす。
いつも素晴らしい写真ですね。楽しませてもらってます。
お夕さん紹介の宿場やロケ地、そのうちまとめて
行ってみようと思います。

Re: 紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

下から2番目の写真の祠の横の石碑に「庚申」と書かれているから、庚申信仰にゆかりの祠なのでしょうね。「女人講」ですね。

  • 20091113
  • カミヤッカー ♦a2H6GHBU
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Re: 紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

八朔さま、いつもコメントをいただきありがとうございます。
奈良井は2回訪れたのですが、本当に良いところです。ただ、車が狭い道を行き交うので、
気をつけないといけません。
見るところもたくさんあり、宿場めぐりとしてはお勧めの場所です。

私の住まいする所も、京都とよく似た町家がたくさんあり、いわゆる「ウナギの寝床」です。
子どもの頃は、古くさくて嫌だなあと思っていましたが、最近は郷愁を覚え、良さがわかってきました。
やはり「日本人」だなあ、と感じますね。

奈良井の権三役の井上昭文さん、ちょっとカワイイ鬼瓦って感じで、いい味を出していましたね。

  • 20091114
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

桐風庵さま、足を運んでくださって恐れ入りやす。
本当に真剣に、「紋次郎ツアー」を企画して欲しいと願っておりやす。
その時は是非、ご同行をお願ぇいたしやす。

  • 20091114
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

カミヤッカーさま、コメントをいただきありがとうございます。

さすが、紋次郎ファンでいらっしゃる。「庚申」に反応されましたね。
宿場や街道、村の社などによく「庚申塚」「庚申塔」が見られますね。
紋次郎作品を知ってから、特に目に付くようになりました。

「女人講」のお筆さん、切なかったです。

  • 20091114
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

お夕様。こんばんは。
奈良井の宿。本当に開発から逃れて、保存されたとの事でよかったですね。このよう所は本当に永久に保存もされて欲しいです。日本人は自国の価値を知らなさすぎです。失われたら二度と取り戻す事は困難です。大切にしてほしいですね。
紋次郎に惹かれる多くの方は、単に今までにない時代劇であるとか、殺陣が斬新である・・とかより紋次郎自身の死生観や生きざまに魅力を感じている方か多いと思います。最近、私の回りでもうつ病とかパニック症候群とかの方か゜多くいて、自分自身を強く持つ・・と言うことを考えさせられます。心療内科を受診するより紋次郎の物語の中で多く語られる、言葉を人生の指針とし頂きたいですね。(*^_^*)
私自身かなり救われていますもの。
人は人自分は自分です。

自分を幸せにするのは自分ですよね。

  • 20091114
  • sinnosuke ♦OAGtu.Bo
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Re: 紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

sinnosukeさま、コメントをいただきありがとうございます。
今までいくつか宿場町を訪れましたが、保存されていなくて惜しく思う所が多いですね。
住民の総意がないと、難しい課題ですね。

私の家族にも軽いうつ病の者がおり、この現代病理は確実に身近なものになっています。
私もいつ何時、どうなるかはわかりませんからね。
紋次郎がどこかの作品で、「いつも今日が命日だと思っておりやす。」と言っていました。胆に銘じたい名言だと思いますね。
「ひとは、ひと。自分は自分。」それぞれの生き様があり、価値観があります。

>自分を幸せにするのは自分ですよね。
仰るとおりだと思います。
幸せか不幸かは、自分の心が決めることですね。

  • 20091115
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

 私的なことですが、ぼくのご先祖様の一人に明治元年の生まれの人がいます。というかあったことはさすがにないので、いましたというべきかもしれませんが。とにかくそのご先祖様が二十歳前か、二十歳のころ、明治でいえば二十年ごろです。

 明治二十年ごろというと、まだ江戸時代の名残が濃厚に残っていたようで、中央では度だったか知りませんが、田舎の方ではまだ江戸時代とさほど変わりがなかったようです。なにせこのご先祖様は若いころはちょん髷を結っていた聞いたことがあります。

 で、このご先祖様がお伊勢さんにお参りに行くわけです。家を午前二時ごろに出たと聞いたことがあります。もちろん一人です。おにぎりを持ち、夜旅をかけるわけです。おにぎりは歩きながら食べたそうです。

 さらにご先祖様は煙管で煙草を吸いながら歩きます。キザミの交換も歩きながら行うそうです。まだ火の残っているキザミを手のひらに乗せ、煙管の火皿に新しい刻みを詰め、手のひらに乗っているまだ火の付いているキザミで火をつけたそうです。

 そして、手のひらに乗っている火をつけ終わったキザミは後ろに捨てたということです。まだ火が残っているものをです。理由は獣除けだったといいます。当時はまだ日本狼もいて夜旅をかけることは相当危険だったといいます。昼も、時には夜も、歩き続ける紋次郎を見ていると、ふとご先祖様のことを思い出したりしました。

 当時は旅をするということ自体が、何割かの率で命の危険に出会うことでもあったようです。敵は悪人だけではなく、野の獣や天候、病気とあらゆるものと戦いだったようです。写真を拝見させていただいきながら、ご先祖様のことを思い出したりしました。

Re: 紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

le_gitanさま、コメントをいただきありがとうございます。
また興味深いお話を、ありがとうございます。
明治といえど、江戸時代に限りなく近いんですよね。私の祖母も明治生まれで(もちろん故人です)普段着はいつも着物でした。髪型も日本髪まではいかないまでも、結ってましたね。思い出します。
なかなか粋なおばあちゃんで、お座敷で三味線を弾いたりしていたようです。もっとも、聴いた事はありませんでしたが……。

そういえば紋次郎は「雪に花散る奥州路」では猪に襲われて、崖から転落しましたっけ……。
当時の旅は、無理をすると本当に命をなくす危険性があったんですね。

それでも異国の地を夢見て、物見遊山に出かける人が、江戸時代の後半になるとかなりいたようです。
伊勢参りに向かう「抜け参り」の人々は、米や銭などの喜捨を受けるための柄杓を持ち、人々から施しを受けながら無賃で旅ができたそうです。
「天下御免」の番組で、人々が「おかげ参り」に熱狂したシーンがあったこともうっすら覚えています。
あてがあり、楽しみがあり、帰り着く故郷があっての旅ですから、紋次郎の道中とは全く別物ですが……。

  • 20091120
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

はじめまして。
ナラリーノさんのところから飛んでまいりました。
そして奈良井宿の文字に反応。何年か前に行ったことがあります。奈良井は遠いのですが,祖母宅は中山道の近く(表現はこれでよいのか?)で、宿場はないものの小さいころは普通に歩いていました。
妻籠宿や馬籠宿も何回も行っています。水車などを見ると心が和みますね。

  • 20091122
  • おたんこナス ♦-
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Re: 紋次郎の影を追う 「奈良井宿」

おたんこナスさま、よく飛んできてくださいました。
コメントをいただき、ありがとうございます。
奈良井宿も妻籠宿も、いいところですね。時間がゆっくり流れている感覚です。
この風情を残すには、住民の皆さんのご努力が不可欠ですね。
皆さんにその良さを知っていただきたいのですが、観光地化され過ぎるのも困ります。難しいものです。
一度失うと二度と取り戻せませんから、地元の人だけではなく、国民みんなの理解や協力が必要ですね。

  • 20091122
  • お夕 ♦wikz35BA
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