紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第25話「海鳴りに運命を聞いた」

第25話「海鳴りに運命を聞いた」

第25話「海鳴りに運命を聞いた」
(原作1972年 第21話) (放映 1972.12.30)
原作からは、かなり内容が変更されていて、別物に近い感がする。
アバンタイトルからして全く別物。原作を読んだ者からすると、「えっ、こんな話あったっけ?」

大きく違うのはヒロイン、お袖の設定である。
原作とは違いお袖は偽物である。お袖の本名はお栄で、お袖と同じ宿場の酌女だった。
本物のお袖から母親の形見の簪を盗み、胸に証となる赤い痣をつくり、不動堂の太兵衛と結託してお袖になりすました。
酌女をしていたときの馴染みの客が、丸谷の銀造。お栄にとっては、太兵衛と銀造は目の上のたんこぶという訳である。
お栄役に「早瀬久美」。「新木枯し紋次郎」では「お笛」として再度登場している。我々の年代、アラ・フィフ世代(こんな言い回しがあるか定かでないが)では「おれは男だ!」の「吉川くん」で有名な女優さんである。やはり知的な清純派といった雰囲気があり、悪女としての妖艶さは感じられないが、その方が意外性があって効果的である。
森田健作氏は見事(なのか?)な変貌ぶりであるが、早瀬女史は2002年に女優業に復帰され、現役で活躍されている。

テレビ版のお栄と原作のお袖。どちらも悪女には違いない。さあ、どちらがより悪女であるか。
原作のお袖は、太兵衛の若いモン同士の殺し合いを紋次郎の仕業にする。出漁の合図の布を変え、楊枝を置いていく。将来の婿、清三郎の父親や兄殺しを頼む等々……。かなりの悪女である。
「そうさ。わたしはただ、彦十郎に負けたくなかった。おとっつぁんが網主としてやって行けなくなったら、また貧しい漁師の暮らしに戻るんじゃないかと思って……」
と語っている。
何となく動機がはっきりしない。もともと清三郎と所帯を持つつもりでいるのに、なぜ清三郎の父親である彦十郎を殺す意味があったのかと思う。
逢い引きしている箇所を読んでいると、日本版「ロミオとジュリエット」かと思わせる向きもあったが、実情は大違い……。やはり女は怖い。
その辺の釈然としない筋書きのせいか、テレビ版はかなりストーリー変更が見られる。

テレビ版のお栄は、盗人で騙りである……と言ってしまえば身も蓋もないが、身の上を聞くと可哀想な女でもある。昔の素性を知る銀造が現れなかったら、こんな急展開にはならなかったろうが……。
どちらにしても共犯の太兵衛にはこの後、強請られるのは必至であろう。
紋次郎はお栄と清三郎が逢い引きしているとき「お袖」という名前を耳にしているが、何の反応も示していない。聡明な紋次郎であれば、聞き逃さないはずなのだが……。
その上簪の持ち主を銀造に尋ねられ、剛左衛門の娘だと教えたのは何故か。直接教えたシーンはないが、銀造が剛左衛門宅を訪れ、お栄と顔を合わしていることから分かる。
あんな得体の知れない怪しい男に、簪の持ち主として居場所を教えたことに疑問は残る。

清三郎が逆上して銀造を殺すことを想定して、清三郎に文を送りつけるという確率の低い賭に出るが、清三郎はまんまと思惑通り銀造を銛で襲う。我に返って自分の犯したことに恐れおののく清三郎を、母親のように抱きしめて頭を撫でるお栄。
「よくやった。」といったところか。
太兵衛に脅されていたこと、銀造が昔のよしみでまとわりつくことなどをあげつらい
「渡世人なんて、みんな人間の屑よ。ダニみたいなもんだわ。」
と言い放つ。
その渡世人を使って人を騙し、お嬢様として収まっていることは棚に上げて……。

瀕死の銀造に銛で突かれて最期を遂げるところは、凶器と動機は違えど原作と結末は同じ。この結末は、江口紋次郎のリメイク版「童唄を……」に似ている。
本物のお袖も可哀想であるが、お栄も幸せになりたかったのだ。剛左右衛門は騙せても紋次郎とお天道さんは騙せなかったのか、自業自得の最期となった。

第25話「海鳴りに運命を聞いた」

この回の紋次郎の関わり方は、以前にポイントを示したが「今際の頼み」である。
行き倒れの女を背おい、岬に静かに下ろす。事切れて何も見えなくなった虚ろな女の両目を、そっと閉じさせる紋次郎の優しさ。女性ファンがクラッとするところである。

砂浜で二人のやくざモンが死闘を繰り広げている。原作ではこの二人は共に太兵衛一家の若い者で、仲違いをしての斬り合いとしている。
お互いが相討ちになり、哀れな死にざまを紋次郎は見おろす。

「同情も憐憫も軽蔑も、渡世人の表情から読み取ることはできなかった。空しさだけが、感じられた。何のために、殺し合ったのか。
どうして、殺さなければならなかったのか。果ては、二人とも死んだ。同じ長脇差を持つ身として、命のやりとりをする空しさに捉われて
いるのに違いなかった」  (原作より抜粋)

そして二人の骸の間に、楊枝を飛ばしたのである。説明がなければ、不用意に飛ばしたというだけに終わってしまうが、あの楊枝には、無駄死にをした若いやくざたちに手向けた、無常観が表現されているのだ。

テレビ版では、太兵衛と勘蔵一家の若いモン同士の喧嘩となっているし、紋次郎が楊枝を飛ばすところの心中も語られていない。それどころか、原作には「蓮沼の勘蔵」は出てこない。
テレビ版では二人の死骸はそのまま何も細工はされず、楊枝が刺さっていたところから、紋次郎がやったということになってしまう。楊枝を利用して罪を着せるところは、「月夜に吼えた……」と同じだが、今回は現場に飛ばしたのは紋次郎本人ではある。
原作では、突き刺し合った太兵衛の身内の骸から、長脇差を抜いて細工したのはお袖である。気丈というか機転が利くというか、大した悪女である。

丸谷の銀造役に「睦五郎」。一癖もふた癖もありそうな役どころである。何かと紋次郎に付きまとうが、紋次郎はかなりウンザリ気味。
テレビ版では、この銀造が出漁の布を取り替え楊枝を残す。太兵衛に雇われてのことである。銀造は顔に似合わず純情派。昔惚れた酌女お栄をずっと探し続けていたという設定。金で雇われ悪事を働く割には、恋には純情で、最期はお栄と無理心中となる。

本物の海でのロケは初めて。それまでは多分、琵琶湖での撮影だったと思われる。琵琶湖ではあれだけの白波は、よほどでない限り立たない。
今回の殺陣は波打ち際。砂に足は取られる、着物や合羽は水に濡れると、かなりハードな殺陣である。チャンバラの間に地引き網に、紋次郎は絡め取られる。太兵衛一家にとっては大チャンスなのに、なぜか紋次郎を一斉に刺さない。ヒーローが刺されては、終わってしまうからだろうが、「ちょっとなあ」という感じがする。
しかし、あれだけ長い距離を走り回るのには相当な体力がないと務まらないだろう。斬られ役の人も大変だったろう。
因みにこの秋、鳥取砂丘を訪問したのだが、ただ歩くというだけで疲れ果て、翌日足の筋肉が痛かったという情けない有様だった。収録後はグッタリだったのではないだろうか。

最後は、剛左衛門に実の娘「お袖」の遺言を紋次郎は告げ、任務遂行となる。
剛左衛門は昔捨てた娘に会いたくなって探した。「暁の追分に立つ」でも、与三郎は娘を捨てた。「流れ船は帰らず」では逆に息子の十兵衛は父親を捨てた。
どれらもハッピーエンドにはならず、恨みと虚しさだけが残った。他にも親子がからむ話はたくさん出てくるのだが、どれもこれも親子の情愛を感じるものはない。本当に徹底しているといっても過言ではない。

今回の作品は、原作もテレビ版も、私にとっては何となくしっくりこない。クォリティーとしては十分なのだが、この時期に来ると微妙である。

行きずりの女の、今際の頼みを引き受ける。
楊枝のせいで、いわれのない恨みをかう。
騙すのは女、騙されるのは男。

形式化された中でストーリーが展開されていくようで、意外性が感じられない。いや、視聴者の方が「木枯し紋次郎」の展開に慣れてきたからかもしれない。マンネリ化まではいかないにしても、ストーリー展開がここまで来ると定着されつつあるのは確かである。

このシリーズが世に出たときは、今までの時代劇の概念と全く違う魅力があり、人々はその斬新さに飛びついた。しかし、それも回を重ねるにつれて慣れが出てくる。
「多分この女は、裏切るんだろうな」「善人顔をしているけれど、黒幕だったりして……」とパターン化されたストーリーを勝手に想像してしまう。著者である笹沢氏も、そのあたりが悩みのタネだったに違いない。

意外性が意外性でなくなったとき、ここから新たな産みの苦しみが出てくるのだろう。

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Re: 第25話「海鳴りに運命を聞いた」

 海辺のロケ地は、影の出方からして明らかに太平洋側ではなく日本海側ですね。

 そして、うねりによる波の立ち具合のようだから、内海ではなく、外海に面した浜ですね。

 京都から近い日本海・・・。というと福井県、もしくは京都府の若狭湾あたりじゃないかと、目星を付けております。

  • 20091119
  • カミヤッカー ♦a2H6GHBU
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Re: 第25話「海鳴りに運命を聞いた」

カミヤッカーさん、いらっしゃいませ。

上記の写真ですが、コメントをいただきありがとうございます。

1枚目の写真は、住まいからずーっと遠い、高知県の桂浜なんです。
高知県というと今度の大河ドラマのヒーロー、坂本龍馬ですよね。
この夏、行ってきました。快晴で白い波が美しく、思わず写真を撮りました。

2枚目はまた違う海でして、仕事で広島の宮島に行ったときの写真です。
夕方になってやっと陽が差し、夕景が美しいので撮りました。
ちょうど引き潮で、海にそびえる鳥居の近くまで歩いていけました。波が穏やかで、外海とは全く違う海のシーンでした。

あちこち出かけるときには、必ずデジカメを持ち歩いています。もちろん紋次郎に逢えそうな風景を撮るためで、見事に同行者たちの(私も含めて)スナップ写真は1枚もありません。

  • 20091120
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第25話「海鳴りに運命を聞いた」

お夕様。こんばんは。
いつも素敵な写真に感動しています。一枚目は桂浜。二枚目は宮島。どちらも四国に居住する者としては親近感を感じてます。まったく場所は特定できませんでしたが・・。((+_+))
いつもプログを拝読していて感じているのですが、お夕様、原作を熟読されているのかしら?聞くまでもないかな?
私なんて全刊通して一読しかしていないので、原作とテレビの相違点がお夕様ほど記憶が確かでないんですよね。(@_@。でも、この「海鳴りに・・」のお栄は他の作品にも勝る徹底した悪女でしたね。
親子の情をとことん否定する作品が多いのは、どうしても笹沢氏の生い立ちによると所が大きいと思いますね。紋次郎=笹沢佐保って感じです。
小説家と言うのはやはり家庭的に恵まれない方が多いですね。お金は与えられても真の愛情を受けていないとか・・。家庭の人間関係が複雑であるとか、そこから生まれて来る苦悩とか自己否定とか人間不信とか・・。様々なものか゛相まってそれが優れた文学を生み出すのかも知れません。

お夕さま。明日はいよいよ中村氏の講演会で和歌山ですね。
どうぞ、お気をつけてくださいね。お土産話を楽しみにしております。

  • 20091121
  • sinnosuke ♦GZgNVSBU
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Re: 第25話「海鳴りに運命を聞いた」

sinnosukeさま、コメントをいただきありがとうございます。
紋次郎シリーズを、全作読破されたことはすごいことだと思いますよ。
私としては思い入れが強いのは、やはり「唄を数えた……」までの作品でしょうか。外出するときには、必ず「紋次郎」を連れて行きますね(笑)。

小説家に限らず表現に携わる方は、紆余曲折した人生を、歩まれることが多いのかもしれませんね。表現するということは心が動くことですから、平穏な普通の生活からはあまり良いものは生まれないような気がします。

明日、行ってきます。遠足に行く前夜のような気持ちです。

  • 20091121
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第25話「海鳴りに運命を聞いた」

お夕さん、こんばんは。いつもながら素敵な写真ですね。デジタル一眼レフなのですか。私は写真が全くダメで、オートマチックのアナログのカメラとデジカメを使っていますが、デジカメは全然きれいではないのでアナログカメラが棄てられません。アナログの方が断然写真がきれいなので、といってもデジタル一眼レフを買う金もなし、使いこなす自信もなし、といったところです。宮島の写真なんか大好きです。こんな風情のある写真が取れたら楽しいのにと思います。宮島は小学校で修学旅行で行って、またいつか行きたいと思うようなきれいなところでした。それにしてもあの楊枝を飛ばしたのはそんな意味があったんですか。私はまた紋次郎がとちくるったのかと思いましたよ。紋次郎さんごめんなさい。この回は人々の関係が複雑で、テレビ放送で1回流しただけでみなさんわけがわかったんでしょうかとも思いました。

Re: 第25話「海鳴りに運命を聞いた」

八朔さま、コメントをいただきありがとうございます。
写真の件ですが、普通のデジカメです、と言うか、「一眼レフって何のこと?」と近くの者に尋ねる程疎いんですよ、これが……。
掲載している写真の陰で、何枚ボツになったことやら、まさに「下手な鉄砲も、数撃ちゃ当たる」です。

仰る通りこの回の展開は、あれもこれも狙いすぎたかなあ、という感じがします。何となく、2話分を1話にしたような内容ですね。

第2シーズンもこの回あたりから、少しずつほころびが見えてくるような気もします。
(気のせいかもしれませんが)
どこが?と言われても難しいのですが……。

  • 20091123
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第25話「海鳴りに運命を聞いた」

お夕様。今晩は。
「表現するという事は心が動くこと」名言ですね。正にその通りだと思います。何も見ず、何にも耳を傾けなければ、人間どんなに長く人生を送ろうと生きているとは言えないかも知れませんね。
私は実年齢は関係ないといつも思っています。年齢を重ねたから人間の内容が伴っているとは限りませんもの。
「人間は年を重ねるから老いるのではなく、理想を失った時に年を取る」と言う言葉がありますが、いつまでも 好奇心を持ち続け、感動する心を失いたくないですね。
その点でも中村氏は理想的な年齢の重ね方ですね。
それに、今もとてもスタイルが良くて素敵です。(*^_^*)

  • 20091126
  • sinnosuke ♦SYpZ2H2I
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Re: 第25話「海鳴りに運命を聞いた」

sinnosukeさま、コメントをいただきありがとうございます。
sinnosukeさんの、コメントを読んで
「心 ここにあらざれば、視れども見えず聴けども聞こえず」という言葉が頭に浮かびました。
紋次郎の♪心は昔に死んだ♪ですが、心が死ぬと何も感じなくなります。紋次郎の場合は、そうならざるを得なかったし、心を殺しておかないと生きていけなかったのでしょう。
しかし、死んだはずの心が思わず息を吹き返す……紋次郎が垣間見せる人間性であり、それが魅力なんですね。
少なくとも、私たちは心を死なせてはいけないと思います。

敦夫さんのスタイルの良さは、有機農法の食材の賜物でしょうか。
メタボな様子は少しもなく、ステキでしたよ。

  • 20091126
  • お夕 ♦wikz35BA
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