紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第26話「獣道に涙を棄てた」(中編)

第26話「獣道に涙を棄てた」(中編)

第26話「獣道に涙を棄てた」(中編)
(原作 1972年 第19話) (放映 1973.1.6)

旅籠では紋次郎と太吉、お鈴、小間物の行商人の4人が相部屋となる。
特に小間物屋が太吉たちを胡散臭そうに見やり、せわしなく木箱を片付ける音が部屋に響く。視聴者の耳は、目の見えないお鈴の耳となる。
アバンタイトルの足音と同じ効果を狙っている。

お鈴はしきりに「家に帰ろうよ。野菊も咲いたんだよ。」と太吉に帰郷を勧める。「野菊?」と太吉は問い直し、お鈴やお京たちと一緒に幸せに暮らしていた過去を思い出す。もちろんこのあたりは原作にはない。
因みに「野菊」は紋次郎にとっては、姉のお光を思い出す大事なアイテムである。
若い三人が美しい故郷で笑いながら暮らしている様は、さながら爽やかな青春ドラマを観ているようである。

回想シーンの始まりで野菊や萱葺きの家、柿の木などが提示されるが、その中で納屋の中に吊された玉葱がある。これは、NGではないだろうか。たしか、玉葱は食用として栽培された始まりは、明治に入ってからである。従って紋次郎の時代では、農家は玉葱など栽培はおろか、見たこともないはずである。

この後大宮郷に向かう途中で、三人は鴉の源蔵一家に襲われる。稲刈りが済んだ広大な水田跡である。撮影場所は京都郊外の亀岡。この大がかりな殺陣のシーンは、シリーズの中でも屈指のものであろう。この作品の撮影初日がこのシーン撮りからだったそうだ。
大クレーン車にトラックやバス、取材車などが集結したようで、中村氏著書「俳優人生」によると、さながら大名行列だったそうだ。1本のテレビ番組のシーンを撮るのにこの騒ぎである。静かな田園地帯が一変したことだろう。

「朝から晩まで走り続けるのだから、普通の俳優さんでは無理だった。やくざ群には竜谷大学のラグビー部を起用した。演技を知らない若者たちだから、逃げる私を本気で追いかけ、やたら滅多に刀をたたきつけてくる。足には自信のあった私もほうほうのていだったが、それだけリアルな演技になった。」
(「俳優人生」より抜粋)

素人のラグビー部員を起用したことと、当時お鈴役の鰐淵さんが妊娠していたということは、ファンの間では有名なエピソードである。

鴉のアップがインサート・ショットで何度か現れ、何かが始まる予感の後、地面からわき出るかのように黒い軍団が出現する。この出方も面白い。
鴉軍団は総勢約20人、これだけの衣装を揃えるのも大変だったのではないだろうか。三度笠から見えるそれぞれの並んだ顔……「地蔵峠の……」のクライマックスシーンに似ている。

自由に走り回っているようだが、緻密なフォーメーションを考えたようである。以前、「帰って来た木枯し紋次郎」の殺陣フォーメーション図を中村氏がテレビで見せていたが、一人一人の動きが複雑な矢印で示されてあり、驚いた。モール状態で押し合っている中、スルリと脱けて敵を欺き走り去るところは痛快である。

第26話「獣道に涙を棄てた」(中編)

例えが的確ではないが、このダイナミックでちょっとコミカルな追いかけっこは、まるで「ルパン3世」。ルパンと銭形警部や部下たちの追いつ追われつのアニメ劇を連想した。もちろんコメディーではないが、このシーンはこの回の一番の見所である。

みんな同じような出で立ちなので、どれが紋次郎かわからないという課題を克服するために、敵は全員黒い衣装と三度笠。これなら、いくら黒ずんだ紋次郎の三度笠であろうと、見分けはつく。
名作だが見分けがつかないといえば「地蔵峠の……」の殺陣シーンであろう。雨の中、スローモーションでの映像は傑作ではあるが薄暗く、どれが紋次郎か分かりにくい。もっとも、ハイビジョン化された映像だと区別は付くのだろうが、その反省から(勝手な想像)敵を黒にした。
黒から連想するものといえば、「鴉」……ということで「鴉の源蔵」という呼び名を付けた。演繹法か帰納法か分からないが、私はこの色彩のこだわり演出も、中村氏のアイディアだと思う。

なぜか太吉の家まで紋次郎はついていき、納屋で泊まることになる。
この後の鰐淵女史の演技は、圧巻である。鬼気迫るものを感じる。白装束のような夜着にざんばらの髪、長ドスを片手に納屋に入ってくる様は、まさに包丁を持った山姥のようである。長ドスを振り回したり、大声で叫んだり、テレビ版のお鈴は原作と違い凄まじい。

原作では、お鈴は長ドスを持って忍び込んだところで紋次郎に声を掛けられ、詫びながら号泣する。紋次郎を襲おうとした経緯や、自らの手で目を潰した訳を泣きながらも語る。

「みずから失明させたというお鈴の目の下で、大粒の涙がキラッと光った。それは、星の輝きを映した夜露のように、美しかった。
紋次郎はそのお鈴の涙を目で捉えていた。」(原作より抜粋)

紋次郎の目には、美しい涙に見えたのである。こんな表現は、原作の中でも珍しい。いつも男と女の関係はドロドロしたもので、純愛など存在するはずはない、というスタンスでのストーリーばかりであった。
笹沢氏の男女の見方は、不信で始まり不信で終わるとばかり思っていたのに、この展開は意外である。きっと女は裏切る、と見透かす習慣をつけていた紋次郎フリークにとっては、逆にこの展開は新鮮である。
しかし一途に太吉を信じ、健気に太吉を愛していたお鈴の姿を目の当たりにした太吉は、どんでん返しを口にする。
そして太吉は自分の罪を明かし、納屋に火をつけ舌をかみ切って自害する。お鈴の純愛に応えてやれなかった自戒の念を込めて……。
そしてお鈴も続いて、長ドスで喉を突いて自害する。
「お前さん、死ぬときも一緒だよ」の言葉……最期まで健気である。
二人の死骸は手を触れ合っていなかったが、紋次郎は楊枝を飛ばし、お鈴の袂と太吉の袖とを重ねて縫いつけてやる。泣ける。

原作では最後に紋次郎は重要なセリフを口にしている。
「命を大切にして藤岡に戻った者がいたら、加納屋善左衛門にこう伝えて頂きやしょう。世の中には、心で睦み合う男と女もいるもんだってね。藤岡へ戻りたくねえ者は、死んでもらいますぜ。今朝の紋次郎は、容赦することを知らねえんでござんすよ」
(原作より抜粋)

「心で睦み合う男と女もいる」と、源蔵一家に紋次郎は言っているがその実、自分に言いきかせているのだ。紋次郎は、太吉とお鈴のような夫婦はこの世の中に存在するはずはないと思っていたが、いたのだ。
しかし二人とも死んだ。(後編へ続く)

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