紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第27話「錦絵は十五夜に泣いた」(後編)

第27話「錦絵は十五夜に泣いた」(後編)

第27話「錦絵は十五夜に泣いた」(後編)
(原作 第25話) (放映 1973.1.13)
煮売屋でお紺と紋次郎は会話する。
渋川への足が鈍くなったお紺は「いっそ紋次郎さんと旅でも続けようか」と冗談ごかしで言うが、実のところは半分本気なのだ。
「旅なんてものはどこにも落ち着くことを許されねえ人間のするこってござんすよ」と紋次郎。
「みんな自由になりたいのさ、みんなね。お糸さんだって……」とお紺は沈黙する。
お紺の真剣な横顔と、紋次郎の三度笠から見える口許とが交互に映し出され、お互い沈黙が続く。
どこにも定住できない渡世人と、一所から離れられない女主人……立場は全く逆ではあるが、共通するところはどちらもあきらめがあり、虚しさがあるというところか。

煮売屋を二人は出て別れることになるのだが、お紺は「見送るよ」と名残惜しそうである。
原作では、別れは月夜の下であるがテレビ版では昼間である。ここでもテレビ版は月夜をはずしている。月夜という設定での撮影は照明技術上無理だったのか。クライマックスぐらいは月を登場させてほしかった。

お糸が危険を知らせに来たのに、紋次郎はまだその純情をくみ取ろうとはしない。倒れ込んだお糸の背中にドスが刺さっているのを目にしたとき、初めて紋次郎は自分の間違いに気づく。ドスを抜きそっと身体を抱き起こす紋次郎に、お糸は「いいんです……私にはこの泣きぼくろがあるんだし……でもこれでやっと遠いところへ行けます」と呟いて事切れる。
抱き起こしてお糸の顔を見つめていた紋次郎は無言であるが、その目と口許に感情が表されている。そして三度笠の陰から見える楊枝は歯でかんでいるのか、発する言葉の代わり微かに動く。
原作では、お糸の目の中に満月があり、眠るように閉じた瞬間、そこにあった十五夜の月も消える。タイトルの意味がここでわかるのだが、テレビ版では抜けるような昼間の青空である。これでは「なんで、十五夜?」である。

自分の尺度で人を推し量り、お糸を疑った自分への怒りが、追ってきた善九郎の子分たちに向けられる。
優しくお糸の亡骸を横たえてから敵の気配を感じ立ち上がり、道中合羽の前を怒りに満ちた動作で開く。
重そうな錆朱色の長ドスの鍔に手をかけ鯉口を切る。
合羽の空気を裂く音、長ドスを構える音、耳から入る世界も私は大好きでゾクゾクする。

紋次郎は怒っている。お糸の純情を疑った自分に、そして死に追いやった一家の者に。紋次郎が構えた長ドスが光り、怒りに満ちた顔を照らす。戦意をなくして逃げる者にも容赦はしない。刀を取り落とし、丸腰になった者も長ドスで斬る。いつもの殺生は好まない紋次郎ではないのだ。
そして、一家の者を全員、息の音を止めた後の紋次郎の表情は、虚しさと哀しさに満ちている。

第27話「錦絵は十五夜に泣いた」(後編)


多之吉は企みを全部ばらして逃げていく。あの女衒は生き延びるのだ。できれば斬り捨てて欲しかったのだが……。
お糸の亡骸に駆け寄る大黒屋の目の前に、長ドスが刺さり「手を触れてもらいたくねえんで」と紋次郎。このセリフは原作にはない。
清い心のままで死んだお糸に、指一本でも触れてほしくないという、紋次郎のせめてもの抗議である。

堅気の大黒屋に長ドスは向けられないのだ。こうして、一番のワルも生き延びるのである。紋次郎のかわりにお紺が雄弁にまくし立て、溜飲が下がる思いである。
お紺が、紋次郎にお糸をつれだしてほしいと頼んだ事情を説明する。なぜお紺はもっと早く、このことを紋次郎に明かさなかったのか。
そんなことならお紺が引き取って、店の水仕女にでも置いてやれば良かったのに……、と矛盾を感じる。お糸の紋次郎への恋心を優先させたかったのか。

もしかしたらお紺は、お糸に自分を重ね、無理かも知れないが一縷の望みを託したのではないか。心を寄せる紋次郎に連れ出されるお糸を自分に見立て、希望を持ちたかったのではないか。
お糸とは全く正反対の、気丈な女主人のお紺。しかし、自由のない一人の女ということには変わりがなかったのだ。

お糸の絵に紋次郎は楊枝を飛ばして、泣きぼくろを消し去る。紋次郎ができるせめてもの償いか、それとも懺悔か。
明日のない無宿の渡世人には、いくら男っぽく腕が立っても、生身の女を幸せにすることはできないのである。

話は変わるが主題歌「誰かが風の中で」での歌詞、「誰か」とは一体誰を指すのか、という議論は今までもファンの中ではよくされてきた。どなたの説も頷けるところがあり、私自身は各々が抱いたイメージが正解だと思っている。

私は「お糸なら、もしかしたら『風の中で』紋次郎を待ち続けるのではないか」と思う。紋次郎の素性も、渡世の風評も何も知らない世間知らずな娘だからこそ、一途に惚れてしまう。お紺が口にしたことは当たっている。

あり得ないことだが、もし紋次郎が「娘さん、必ずあっしが迎えにめえりやすから、ここで待っていておくんなさいよ」などとお糸に言ったとしたら、きっとお糸はその言葉を信じて何年も待ち続けるだろう。
あんなに冷たくあしらわれた紋次郎なのに、命をかけて助けようと走り寄ってくるお糸なのだから。
「風の中で待っているのは、お糸さんのような女性だったかもしれないのに……紋次郎さん、酷なことをしなすったね」という気持ちになる。

最後にお紺は胸の内を明かす。
「お糸さん、あたしもしくじっちまったよ。道中の間、あたしも紋次郎さんにくっついてどっか遠くへ行っちまうきっかけを、ずっとさがしてたんだけどねえ。所詮女は、一つ場所を動けないものなのかねえ」(ドラマのセリフ)

女性ファンの代弁である。紋次郎のあとなら、危険や苦労があってもついて行きたい。
「私だってついて行きたいわよ」と、テレビの前の女性ファンの声が聞こえそうである。実は私もついて行きたい。

二人の女を残し、紋次郎はまた流れていく。自由という名ばかりの、不自由さと虚しさを背負って……。

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良いお年をお迎えください

今年は拙ブログに来ていただいて、本当にありがとうございました。
「仁」もすごく良かったし、中村敦夫さんも出てくれて、良かったです。
来年はもっと敦夫さんが活躍しそうで、うれしいです。

こちらにもちょくちょく寄らせていただきます。
来年もよろしくお願いします。

来年がお夕さんにとって、良い年になりますよう。
では、良いお年をお迎えください。

今年は本当にありがとうございました。

  • 20091231
  • ちゃーすけ ♦a2H6GHBU
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  • 編集 ]
Re: 第27話「錦絵は十五夜に泣いた」(後編)

ちゃーすけさま、コメントをいただきありがとうございます。

こちらこそお近づきになれて、うれしかったです。
「仁」の続編、映画化、切に望みます。そして敦夫さんの新門辰五郎役、もう一度観たいですね。

わたしもちゃーすけさんのブログに、またお邪魔させていただきます。
これからもよろしくお願いいたします。

良いお年をお迎えください。
ありがとうございました。

  • 20091231
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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