紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第28話「飛んで火に入る相州路」(前編)

第28話「飛んで火に入る相州路」(前編)

第28話「飛んで火に入る相州路」(前編)
(原作 1972.8月 ) (放映 1973.1.20)
原作は「木枯し紋次郎」シリーズではなく、「地獄を嗤う日光路」に収録されている第3話である。主人公は小仏の新三郎、心臓に持病を持つ渡世人である。新三郎のこのシリーズもこれで最後となる。
新三郎は恩ある女「お染」に、借りを返す事だけを生き甲斐に旅を続けている。
「背を陽に向けた房州路」「月夜に吼えた遠州路」「地獄を嗤う日光路」は既に放映されている。
「背を陽に……」では窮地を救ってくれた酌女「お染」の代わりとなる「みゆき」のため、借りを返すべく身を危険にさらした。
「月夜に……」では原作はかなり変えられていた。
「地獄を……」では「お染」に代わる女は想定せず、展開した。
今回は原作のお染を、姉「お光」に置き換えての放映となった。お光を想定する展開としては「川留めの……」でのお勝以来である。

姉のお光を彷彿とさせるのは、初回以来である。そのためアバンタイトルで、瞽女に紋次郎の姉が好きだった唄を唄わせている。
瞽女が街道を疾走する馬に乗った武士に突き飛ばされ、落とした三味線を紋次郎が手渡す。
「あっしの姉が好きな唄でござんすよ」
幼かった紋次郎が、この唄を覚えていたというのはすごい記憶力である。瞽女の唄う声はなんとも寂しく、郷愁を誘う。

街道筋で宿人足に絡まれている旅商人と出会う。旅商人は「下元 勉」氏。「龍胆は……」での出演もあり、今回で2回目である。柔和な感じのベテラン俳優さんである。

「余計なことを申しやすが、お素人衆はあっしみてえな渡世人には関わりを持たねえほうがよろしゅうござんすよ」
このセリフは実にかっこいいが、原作とほとんど同じである。テレビ版ではこの後楊枝を飛ばして、人足の襟と息杖を貫き留める。
「てめえは、木枯し紋次郎!」と人足が驚き、素性が明かされる。
原作の新三郎は当然楊枝ではなく、銀の平打ちの簪で人足の顔を刺す。

その後旅商人、久兵衛と紋次郎は相部屋となる。紋次郎が旅籠に泊まることは珍しいが、久兵衛が無理矢理、さっきの礼だということで宿をとる。
お決まりのように、酒の勧めを断るのだが、この断り方がまたすばらしい。
「お心遣いだけ、いただいておきやす」
このセリフはいろんな場面で使える。覚えておきたい。
この時の紋次郎はいつもの「紋次郎喰い」ではなく、きちんとした作法で食べている。とは言え、食欲旺盛な食べっぷりである。

久兵衛が話す見晴らし茶屋に立てこもる鬼面党については、原作とほとんど同じ。人質になった茶屋のおかみに自分は恩があるから、何とか助け出して欲しいと五十両もの大金を紋次郎の目の前に用意するが、これは原作にはない。
原作はただ、うわさ話を聞かせるだけで、人質のおかみの名前が「お染」と聞いて、新三郎は助けに行こうとする。

紋次郎は「一度だけの介抱に五十両とは……」といぶかしげで、話には乗ろうとしない。しかし、久兵衛の口から「お光」という名前が出て、初めて反応する。
そして自分の姉の名前もお光だったが、とうの昔にこの世を去ったという事を、呟くように久兵衛に明かす。
紋次郎はそんなことまで、見ず知らずの男に明かすだろうか……私にとっては疑問である。しかし原作を紋次郎の世界に合わせようとすると、このセリフがないと展開がない。
「あっしには関わりのねえこってござんす」とは口にしているが、紋次郎の表情には哀愁があり、明らかに姉のお光のことを思い出している。

第28話「飛んで火に入る相州路」(前編)

夜の宿場で紋次郎は、人質になっているお光の噂を耳にし、またあの瞽女の唄を聴く。賭場にいてもお光のことを思い出している。
回想シーンではシルエットで、お光が男に引っ張られながら「紋次郎、紋次郎」と呼んでいる。足もとには白い野菊。お光は嫁に行ったという設定のはずだったが、あのシーンはどう見ても、女衒に連れられて身売りされるといった感じである。

原作の新三郎は、この世に存在している「お染」を捜し、恩を返すことに生き甲斐を見いだしているので、こういう伏線は必要ない。
しかし紋次郎の姉のお光は、この世には存在していない。亡くなっているお光と同じ名前というだけで、何とか紋次郎を突き動かさないといけない。「川留めの……」のお勝は、容貌がお光にそっくりというインパクトがあるので、結構すんなりといったが……。
このあたりは脚本家も色々考えて手を打ったといったところか。

賭場から帰ってきた紋次郎は部屋の前で倒れている女を助け起こす。お浅役に「吉田日出子」。「流れ舟は帰らず」の素っ頓狂な役ではないものの、なぜこのキャスト?
原作では「二十五、六だろうか。地味な感じはするが、色白の美人であった。切れ長の目と、ふっくらとした唇に色気がある。」
と書かれているが、ちょっと違うと思うのだが……。何を狙ってのキャスティングだったのか。

二人は渡し舟に乗る。「流れ舟は……」では紋次郎が舟を操ったが、今回は客である。原作のお浅は恥じらうように顔を伏せて新三郎と言葉を交わし、楚々とした感じがするのだが、吉田のお浅はその逆。伝法肌で、どう見てもひと癖ありそうな雰囲気である。
探るように紋次郎に興味を持つので、「鬼面党と関係あり」とばらしているようなものである。

原作の新三郎は、ケガをしてか弱く女っぽいお浅に「お染」を重ね合わせ、頼まれてもいないのにお浅に背中を貸す。お浅は遠慮深く断るが、結局心臓発作を起こしてまでも新三郎は背負って行く。
「蓑毛へ行かれても、無茶なことはなさらないで下さいよ」
「見晴らし茶屋に近づいたりしないで下さい。それじゃあ、まるで死ぬために出向いて行くようなものですからねえ」と、とにかく優しい声をかける。
不安そうなお浅に新三郎は暗い眼差しで答える。
「飛んで火に入る夏の虫、ですかい。あっしたちの死に様なんて、所詮はそんなものでござんすよ」
ここでタイトル提示となる。
このあたりの原作のしっとりとした展開は、結末のどんでん返しを思うと切ない。

しかしテレビ版は違う。「待っておくれな!」と、大声で後ろから追いかけてくるお浅に、紋次郎は辟易している。
「いたあい!」と過剰に痛みを訴えるし、終いには「やい!紋次郎!」である。このセリフは前作「錦絵は……」のお紺姐さんと全く同じ。
紋次郎は、姐御肌の女の「やい!紋次郎!」には、からっきし弱い。(後編へ続く)

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