紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第4話 「女人講の闇を裂く」

第4話「女人講の闇を裂く」


第4話 「女人講の闇を裂く」
(放映1972.1.22)

原作では第6話(昭和46年8月「小説現代」掲載)になる。
後家のお筆役は女優の「藤村志保」。愁い顔で原作のイメージとピッタリであり、安心して観ていられる。
お筆のキャスティングは良かったのだが、巳之吉役の「大出俊」が20歳というのはかなり無理がある。この二人は時代劇には欠かせない俳優だけに、意外性はなくオーソドックスすぎるかもしれない。

展開は殆ど原作と同じであるが、原作での紋次郎はいつになく精神的に疲れていて、急いでも仕方がないという怠惰な面が見える。
北国街道筋の風景があまりにも平穏で、紋次郎はこんなところに自分の家があればとまで考えてしまう。いつもは七ツ立ちなのに、明け六ツ過ぎにやっと身支度をする有様だ。
この胸の内はテレビ版では表現されていないので、茶屋にお筆より遅れて到着する紋次郎に首をかしげる人もいたかも知れない。

いつもなら連れは作りたくないし、堅気の厚意は受けないのに、今回はお筆と道中し誘われるままに宿に立ち寄る。また、平穏で静かな夜景の中、土地の人々と共に寄合に加わっている自分の姿を一瞬でも想像したりする。
ナレーターの芥川さんは、街道筋や宿場の説明はあっても、紋次郎の胸中は絶対に明かさないので、視聴者はそんな紋次郎の心境を知らないのである。

お筆の娘加代は3歳になるが、早くに父を亡くしたせいか、口をきいたことがない。紋次郎シリーズに出てくる幼子はどの子も幸薄く、幼少の紋次郎を彷彿とさせる。

二十年前の庚申待ちの夜に起こった惨劇と報復の噂……伝奇ミステリー的な設定で、私は横溝正史氏の作品を連想した。
村人への報復というストーリーは、前回の「峠に哭いた…」とかぶるが、本来は1~3話の放映順が違ったので致仕方ない。
原作では、庚申待ちの夜に巳之吉とお里は契りを結んでしまう。
たまたまその場に居合わせた紋次郎は、村人が近づいて来るので、二人がいることを気づかせまいと自分から村人の方に近づいて行く。そんな心遣いができるのだと、意外な感がする。もしこの後お里が身籠もったりすれば……また新たな悲劇が起こってしまう。
テレビ版での巳之吉は原作と違い、すがるお里を振り切る。そこでバッタリ紋次郎と出会った巳之吉は、与七郎の復讐はない、10年も前から佐渡に島送りにされていると告げる。ここまで種明かしをすると、巳之吉の正体は予想がつく。ただ20歳よりは老けて見えるので、歳が合わないなあと思ってしまうが……。

しかし、どうしてここで与七郎の消息を明かしてしまう展開にしたのだろう。
この後与七郎と名乗り村人達を襲う男が二人も現れるが、視聴者は既に本物の与七郎ではないことに気づいているので、サスペンス性は低くなる。その点、原作はそのあたりを伏せてあるので3人目の男、銀次がもしかして与七郎…?と疑惑が広がる。

また原作では、大和屋孫兵衛の企みの一部始終を、金で雇われた銀次が暴露するが、テレビ版では紋次郎が推理する。鮮やかな紋次郎の推理力に、腕だけでなく頭の冴えにも驚いてしまう。紋次郎は動物的な勘だけでなく、物事をよく観察し論理的に推理する明晰な頭脳の持ち主なのである。
銀次との殺陣で紋次郎は、板壁を蹴り上げ身体を半回転して長ドスを敵の背中に浴びせる。中村氏の運動能力の高さには驚くばかりである。
屋内セットであまり変化がない中、スローモーションで斬新な殺陣を取り入れたのはよかったと思う。

原作では、紋次郎に斬られて瀕死状態の銀次の口をふさごうと、孫兵衛がとどめを刺す。堅気の分限者がヤクザを殺すというのは、テレビを観るお茶の間には相応しくないと考慮したのか…と思う。

巳之吉が匕首で自らの命を絶つのはテレビ版と同じだが、こんなセリフを最期に口にする。
「お里…。好んで、若死にをするわけじゃねえ。だがなあ、二十で死のうと五十で死のうと、大した変わりはねえのさ。生まれて来たときから、そう定められていたんだからな。お前とおれが、どうしても一緒になれなかったのと同じさ」(原作から抜粋)

生まれてきたのが間違いだったのは、巳之吉だけでなく紋次郎も同じだった。生まれてくる前から、不幸を背負う宿命であったのに、一瞬でも紋次郎は人並みの生活を夢想した。許されるはずもないことを考えた自分の甘さが、腹立たしく情けなく感じる紋次郎の自戒の念を、原作は書き上げている。
そして自分に対する腹立たしさを、夜陰に乗じて盗みに入ろうとするヤクザ者にぶつける。だから峰は使わず、渡世人として流れ歩く生活に疲れ甘ったれた気持ちを、盗人と共に斬り捨てる。
原作では、紋次郎が無宿渡世の生き方に疲れを感じているという伏線が、ラストの怒りに効いている。

しかしテレビ版では、紋次郎の心の甘さを脚色していないので、利己的な孫兵衛の所業や、巳之吉とお里の虚しい宿命に対するやるせなさだけに終始してしまったのではないかと思う。
かろうじて二人目を叩き斬った後、「ばかやろう!」と一喝させているが、この深い怒りと虚しさの本質がどこまで視聴者に伝わっただろうか。

この後、お筆が引き留めるのを振り切り、まだ夜も明け切らないのに宿を後にする紋次郎のセリフ。
「お天道様に甘えてえ気持ちになりやすと困りやすんで……二度とお目にかかることもねえと思いやすが、どうか達者で暮らしておくんなさい」
お天道様に……の件は原作にはないのだが、ここで初めて『甘え』という言葉が出てくる。さて、ここで言うお天道さまとは一体何なのか?
真っ当に生きる堅気の衆のことか、慈悲深い神仏のことか。私は前者であると思う。

上がり框に過分の宿代を置いて紋次郎は立ち去る。原作にはない宿代を置くシーンは、律儀で礼儀正しく優しい心根を持った紋次郎を表している。
口のきけない加代が「おとう…」と紋次郎の背中に呼びかける。加代の言葉はお筆を代弁しているのだ。「あの人はねえ、加代のおとうじゃないんだよ」と紋次郎が去って行った後、お筆が呟くシーンは本当に切ない。

巳之吉にしろ紋次郎にしろ、どちらも招かれざる客としてこの世に生を受けた流れ者であり、宿場の者とは水と油…決して相和することはない。この二人の共通する宿命なのだ。

ラストに紋次郎は月に向かって楊枝を飛ばし、村で起こった一部始終の記憶を消し去り、己の甘い考えと決別する。

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Re: 第4話 「女人講の闇を裂く」

ナレーター芥川 隆行なんかの声を思い出しながら
読ませていただきました。

カミユの異邦人のニヒリズムにも通じるところがありますね。
この映像、テレビで放送してほしいものです。

Re: 第4話 「女人講の闇を裂く」

小父貴の旦那、コメントをいただきありがとうございます。
芥川さんの名調子、よかったですね。あの当時、時代劇といえば芥川さんだったように思います。
ニヒルという言葉、最近はあまり聞かれなくなりましたね。中学生だった私はニヒルの意味もわからず、語感だけに憧れていました。
この作品では、紋次郎とお筆の別れのシーンが好きです。
「二度とお目にかかることもねえと思いやすが、どうか達者で暮らしておくんなさい」
本当に切ないです。

  • 20100216
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第4話 「女人講の闇を裂く」

こんばんは!初めて書込みさせていただきます。
はるか昔小学生時代に魅了されて以来、原作に夢中になった紋次郎ファンです。
数十年振りの衛星デジタル放送を機に、改めて堪能しています。
「一里塚に風を断つ」や「湯煙に月は砕けた」「土煙に絵馬が舞う」等のハードボイルド作品が多く、第1クールは傑作がめじろ押しですね。
個人的な見解ですが、私は本作が「木枯しの音に消えた」と並ぶ、シリーズ中の最高傑作と考えています。
虚無感の中僅かに垣間見える人間らしさに、堪らない魅力を感じます。
またお邪魔させてください。

  • 20140802
  • ロクハンノリ ♦.VT8898c
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第4話 「女人講の闇を裂く」

ロクハンノリさま、初めまして。
コメントをいただきありがとうございます。

小学生のときですか……。
良い子はとっくに寝ている時間ですよ(笑)。
原作にも精通されておられると、お見受けいたします。また、いろいろ教えてくださいね。
ロクハンノリさんが書いておられる作品は、私も全部大好きです。
「女人講……」での少し弱気になり苦笑する紋次郎も、人間らしさが見えていいですね。
お筆さんの、ほのかな切ない女心も、余韻が残って印象的です。

またおいでください。
お待ちしています。

  • 20140803
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
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