紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第30話「九頭竜に折鶴は散った」(前編)

第30話「九頭竜に折鶴は散った」(前編)

第30話「九頭竜に折鶴は散った」(前編)
(放映 1973.2.3)

「本編は原作になく、他の笹沢作品の翻案でもない。脚本家・服部佳子のオリジナルストーリーだ。大ヒット中の『木枯し紋次郎』の撮影をウチで、とフジテレビ系列の福井テレビから、タイアップの企画があったが、時代考証的に福井県では渡世人の旅は成立しないので一度話が流れた。だが、その後再び話が浮上し、原作者の笹沢左保が脚本を監修することで製作に至った経緯がある。九頭竜川、鉄砲、手裏剣が交錯する芦原での立ち回り。結局、福井での急ぎ旅となった。」
              (DVDーBOXⅡブックレット解説より抜粋)
シリーズの中では珍しい誕生の仕方である。
本来、福井(越前)は大名領であるので、渡世人が大手を振って歩くことは許されない。
詳しくは拙ブログ、「日々紋次郎『紋次郎兄貴の道中範囲』」を参照いただきたい。

① 関わらなかったことが元で、事件に巻き込まれる
② 今際の際の頼み事は引き受ける
③ ドンデン返し

上記の件を踏襲して作品は作られている。
テレビドラマでの紋次郎シリーズは、「水戸黄門」や「銭形平次」などとは違い、原作者の手から離れて作られることはなかった。
もしそれを良しとするのであればもっと長寿番組になっていただろうが、笹沢氏も中村氏もそれは選択肢になかった。
それ故、今なお伝説的な価値を見いだすことができるのであろうが……。

アバンタイトルで、道ばたの地蔵に目を留め過去の事件を思い出す紋次郎。美濃の分限者の屋敷が盗賊に襲われ、助けを求められたのに断って立ち去ったのだ。
しかし立ち止まった場所には屋敷はなく、朽ち果てた廃屋のみ残る状態。中に入り込むと奧からうめき声のような呼びかけが聞こえ、紋次郎は答える。

「堅気さんのお住まいに断り無く入って、申し訳ござんせん」
どう見ても空き家の廃屋なのに、紋次郎はきちんと挨拶をして律儀である。
廃屋の内部の様子がリアルで、蜘蛛の巣がいたる処に張り巡らされている。この廃屋の撮影はセットかロケか?息が白く見え、かなり寒そうである。

ここで喜助という男から「屋敷の娘、お春が越前三国で遊女をしているから、三十両で身請けしてやってほしい」と頼まれる。
今際の際の頼み事であり、自分が関わらなかったことで運命が狂った悲劇でもある。紋次郎は「引き受けた」と言葉を発することはないが動き出す。

九頭竜川の説明があり、眼下に川を見ながら歩く姿……この川は九頭竜川?それとも保津川?
峠の茶屋で怪しい動き。このあたりは渡世人が旅する所ではない、と清吉が訝しがる。全くその通りである。
この後、山道を歩く紋次郎に銃弾が浴びせられる。
かなりの数の銃であるが、当時の無頼集団は銃を手にしていたのか、という疑問があった。

「江戸のアウトロー」~無宿と博徒~ 阿部 昭著書  で調べてみた。
弘化年間 下総国香取郡の万歳村 無宿佐助(貸元 勢力)率いる一味は長鉄砲7挺、短筒3挺は持っていたと資料にはある。
無頼の徒の武装は、当時想像以上に進んでいたようである。
前回、「飛んで火に入る……」でも長鉄砲が用いられていた。
時代考証的には合致しているようであるが、作品の雰囲気からいうと違和感はある。

第30話「九頭竜に折鶴は散った」(前編)
*上記の写真は越前の海

長鉄砲を手にした一味に取り囲まれ紋次郎は「通りがかりの者でござんす」と答えるが、「渡世人が入り込んでも稼業が成り立たねえところだぜ」と返される。
その通りである。
だから笹沢氏も越前に紋次郎を歩かせることに躊躇したのである。

その後隠し銀山に連行され、頭目の女「お秀」の前に連れ出される。
お秀役に赤座美代子。「水神祭りに死を呼んだ」では、お敬という女を演じていた。
今回は銀山を取り仕切り、頭の留守を守る姐御役である。「水神祭りに……」のお敬とは違い男勝りであるが、愁いがあり翳のある女である。
お秀が咥えている楊枝に目を留めて尋ねる。
「何だい?その楊枝は?」  
「ただの癖ってもんで……」
手荒に連れて行かれるのに、わざわざ振り返って紋次郎は答える。この楊枝でお秀は昔のことを思い出すのであるが、取り上げられた錆朱色の長ドスを目にしてはっとする。

仕置き小屋に閉じこめられていた紋次郎の所に行き、お秀は昔の所業をなじる。ここでお秀とお春を間違えてしまい、紋次郎は三十両を渡してしまう。誰も娘が二人いたとは言っていないのだから、間違えるのも当然である。
この仕置き小屋もセットだろうか?吐く息が白く見える。

後でこっそり清吉がやって来て、探していたお春は三国女郎で自分が請け出そうとしている女だ、銀山を抜け出す手助けをしてくれるなら逃がしてやると、話を持ちかける。ここで紋次郎は人まちがいに気づく。

「預かった三十両を取り返さなきゃ、仏の頼みは果たせねえ」
「あの金は喜助さんが命を縮めて作った金でござんす」
と言う紋次郎に
「お前さん、妙な男だな」と清吉は首をかしげる。

並の人間には、紋次郎の生き様が分からないのだ。紋次郎は自分が関わらなかったことへの懺悔より、喜助の心意気に答えたかったのだ。
生きている人間は人を騙すが、死んだ人間は人を騙さない。死んだ人間の頼みなんか放っておいて、三十両だけを持ち逃げしてもよさそうなものだが、紋次郎は決してそれはしない。
死に際に、どこの誰かも知らない者を信頼して頼む。
信を持って託されたことには、信を持ってやり通す。本来、日本人が持っていた国民性だったはずだ。しかし今はどうだろう……?いや、グチになるのでやめておこう。

清吉が心張りを外しておいたので、紋次郎は仕置き小屋から抜け出す。
部屋に入ったところで、お秀に見つかり手裏剣が足もとに飛ぶ。

「頼れる者は手めえとドスだけでござんすよ。」
「女には手を出さねえことにしておりやす。」

紋次郎の台詞であるが、どうも定番化されているセリフばかりが耳につく。脚本家の服部女史は、オリジナルであるが故、紋次郎シリーズにできるだけ近づけようとしている感がする。

お秀は紋次郎が小屋を抜け出しているのに、手下を呼ぼうともしない。
そして、お前がやって来たので、忘れていたはずの過去を思い出してしまったと紋次郎をなじる。
紋次郎も過去を棄てている。しかしお秀は忘れたと言ってはいるが、棄てきれないでいる。その証拠に屋敷が跡形もなく、お春の悲劇や両親の死を知らされると、愕然とする。

「喜助さんの三十両は、きっと返してもらいやすぜ。」

驚いたことに、紋次郎はまた元の仕置き小屋に自分で戻っている。
「三十両返してもらう。」と言われ、仕置き小屋から抜け出した紋次郎に、お秀は厳重な見張りを付けようともしない。
紋次郎とお秀の行動には疑問が残る。

女には手を出せないから、今はゴリ押しをしない。それより清吉の言うとおり、夜明けまで待って舟で逃げる方が得策と考えたのだろうか。
清吉が脱出する手助けをしないと、義理が立たないというのか。
お秀は肉親の悲劇を知り、呆然としていたからか。
お秀にとっては三十両はどうでもよさそうであることは確かだ。
金に執着しているのなら、わざわざすぐに分かるような手文庫に入れておくことはしないだろう。
いやもしかしたら、紋次郎にお春の身請けをしてもらいたかったのかもしれない。だから敢えて目をつぶったのかもしれない。(後編へ続く))

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