紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

Articles

第5話 「童唄を雨に流せ」

第5話 「童唄を雨に流せ」


第5話 「童唄を雨に流せ」
(原作 1971.6月)(放映 1972.4.1)
原作では第4話となる。
おまん→おちか  松坂屋友右衛門→備前屋友右衛門  名前はテレビ版に統一します。

原作における展開はかなり陰鬱で残酷なので、テレビ版はその部分を変更し薄めている。
紋次郎の出生に影を落とす「間引き」。この残酷な行為に、めずらしく正面から立ち向かう姿があるのだが、結局は救いようのない結末を原作では迎えてしまう。

原作では賭場で、紋次郎は備前屋友右衛門を見かけている。
仙造に友右衛門が、鰍沢のダニ(源之助)を何とかひねり潰して欲しいと頼んでいる様子を耳にもしている。

紋次郎がおちかの間引きを止めるシーンだが、テレビ版では間引かれそうになるのは2人目の子どもという設定である。しかし2人目なのに間引きをするものなのか、という疑問が残る。貧困から間引きをするという忌まわしき風習はあったにせよ、2人目を間引くだろうか。
原作では4人目であり、これについては頷ける。
従って童唄を唄うのはテレビ版ではおちかである。童唄はやはり原作通り、幼い子どもに唄って欲しかった。

原作にはない、テレビ版の紋次郎のセリフで印象的な言葉。
「俺みたいな裏街道をアテもなく歩き続ける半端者でも、ひょっとしたら何か良いことでもあるんじゃねえかと、思ったりすることもあるんです。それって言うのも生きていればのことでござんす」

原作の紋次郎は、絶対にこんな言葉を口にしない。明らかに主題歌「だれかが風の中で」とリンクしている。テレビ版の紋次郎が甘い、と言われればそれまでだが、「心は昔、死んだ」のではなかった。「間引き」という状況を目の当たりにして、人間らしい心を思い出したのか。

原作ではおちかのあばら屋を目にして、忘れたはずの過去を思い出す。間引かれそうになった自分を姉のお光に救われた経緯、姉が嫁ぎ先で亡くなったことを聞かされた翌日に10歳の紋次郎は村を出たこと、2番目と3番目の兄はコレラで死んだという噂……等、姉が死んで以来、親兄弟も肉親もなく、自分一人であり、自分しかないのである。いつかは自分も死ぬ。そのときを、ただ待っているのにすぎない。それが、渡世人の生き方としている。

自分の死を悲しんでくれる肉親もなく、生き甲斐や明日への希望もない無宿渡世の過酷な本質をテレビ版では紋次郎に語らせている。
紋次郎に子分にしてくれと頼み込む百姓の横っ面を殴りつけ、渡世人とはどんなものなのかを語り、親兄弟の元に帰れと諭す。親兄弟、血縁、のキーワードがここにも提示されている。
帰りを待っていてくれる肉親がいるのに、敢えて渡世人になり正義感を振り回そうとする無知な若者に「まだ、引き返せる」と語る紋次郎。原作にはない人間らしさを感じる。

テレビ版での金蔵(おちかの夫)は備前屋(おちかの実家)に訪れ、金の工面をしてくれと恥辱を顧みず頼み込むが、あっさり断られる。
視聴者はここで初めて、おちかと備前屋との関係を知り、備前屋の薄情な金の亡者ぶりを知る。
また原作にはない、源之助の手下に崖から落とされる紋次郎にヒヤヒヤする展開もあり、ある意味ボーナスシーンともいえよう。

金蔵に刃を向けられるが軽くかわし、紋次郎はおちかの窮状を話し、二人してあばら屋に戻る。
原作は救いようがない。
おちかは置き手紙をし、首をくくっている。足下には間引きされた赤ん坊の冷たくなった体。紋次郎との約束を守れなかった詫びとして命を絶ったのだ。紋次郎は、安易なその場限りの情けをかけたような気がして、そんな自分にも腹を立てる。

テレビ版はすんでのところで、首を吊りかけたおちかの命は救われるが、赤ん坊は飢えのために短い命を終えていた。この後のおちかはビックリするほど強い。気弱な金蔵を励まし、やり直そうと声をかける。さっきまで、悲観して死のうとしていたようには思えないような豹変ぶりだ。
そして紋次郎のセリフ。
「勘当されてまで、あんたについてきた恋女房じゃありやせんか。おちかさんを大事にしてあげなせえよ」
「もう一仕事あるんでさあ。あんたならどんな辛いことでも耐えられるお人だ、そう思っておりやすよ」
原作ではおちかは死んでいるので、こんなセリフはなく、脚本家が創作した紋次郎像である。実に人間味溢れる紋次郎である。

原作ではこの後備前屋に乗り込み、おちかの遺髪、赤ん坊の臍の緒、最後には源之助の生首まで持って行く。驚く備前屋を尻目に、竜虎の掛け軸の竜の目に楊枝を飛ばし消える。こんなシーンはいくら深夜放送であっても絶対無理である。脚本家は、このエンディングを変更することから、構想を考え始めたのではないかとも思える。

テレビ版での紋次郎は、備前屋の企みを全部見破り償金百両を出させ、瀕死の源之助を使って備前屋を殺させる。紋次郎は決して堅気には刃を向けない事を鉄則としているからだ。そして、最後に来迎図の掛け軸を楊枝で落とす。
「地獄に仏は無用だ」と独り言。その後手にした百両を、おちかの家にそっと置いて去る。

身にふりかかったものだけを払うはずの紋次郎が、この回では何から何まで全て関わってしまう。
絶望的な原作が、ここまで変わるかと思うほどである。展開が出来すぎで、昔の時代劇を引きずっている感がする。
勧善懲悪で終わる珍しい結末であるので、原作を信奉するファンにとっては、違和感を持つであろう。
しかしヒューマニストの市川監督監修となると、やはりこの路線になるのかもしれない。

トラックバックURL

http://kogarashi1940.blog10.fc2.com/tb.php/8-34dd5f4e

この記事へのトラックバック

この記事へのコメント

Re: 第5話 「童唄を雨に流せ」

お夕さん、コメント欄も付いて本格的にブログが始動しましたね。おめでとうございます。

ミクシーの紋次郎コミュに、時々若い女性の紋次郎ファンがコメントを残します。彼女らは何の事前情報も無いまま偶然スカパーや再放送で紋次郎に出会い、紋次郎の魅力に嵌ったといいます。

私達が紋次郎に出会った年齢よりずっと大人ですが、リアルタイムで見ていた私達よりも情報量が少ない事は確かです。

お夕さんや花風鈴さん、そして我が拙ブログも彼女らの「道しるべ」に、きっとなっていると思います。











  • 20090419
  • おみつ。 ♦aiP0wTO2
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第5話 「童唄を雨に流せ」

おみつさん、早々にコメントをいただきありがとうございます。
今の若い層の人たちにも、紋次郎の魅力を伝えられればいいですね。姿形だけでなく、生き様のかっこよさも知って欲しいです。

  • 20090419
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
Re: 第5話 「童唄を雨に流せ」

お夕さん お邪魔いたします。

『身にふりかかったものだけを払うはずの紋次郎が、この回では何から何まで全て関わってしまう。
絶望的な原作が、ここまで変わるかと思うほどである。展開が出来すぎで、昔の時代劇を引きずっている感がする』

全く、同感です!
こんなに原作と違うとなれば、やはり、読まないと分からないことも多いようですね…

人の数だけ、紋次郎像があるということかもしれません。


Re: 第5話 「童唄を雨に流せ」

白さま、コメントをいただきありがとうございます。

小説で味わう良さ、映像に痺れる良さ、どちらもすばらしい世界があります。
ということで、私の拙ブログも始まった訳です。

他にもよい原作がありますから、映像化してほしいものです。
江口紋次郎は、あれっきりですしね。
来年で放映されてからちょうど40年目になりますし、ホント、フジテレビさんにお願いしたいです。

  • 20110814
  • お夕 ♦wikz35BA
  • URL
  • 編集 ]
コメント投稿フォーム

管理者にだけ表示を許可する

Paging Navigation

Navigations, etc.

About This Website

/