紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第34話「和田峠に地獄火を見た」(後編)

第34話「和田峠に地獄火を見た」(後編)

第34話「和田峠に地獄火を見た」(後編)
(放映1973.3.3)
紋次郎は加代を炭焼き小屋に運び介抱する。ついて来ることを拒んだ一見冷たい紋次郎だが、加代の思い詰めた娘心に少なからず心が動く。紋次郎とは全く別の世界に育った娘である。
紋次郎が味わった貧しさや飢餓、惨めな生活などとは縁のない裕福な娘であるが、心の哀しみには貧富の差はない。

しかし、介抱のために手ぬぐいを濡らしに川に降りたところを、紋次郎は音松たちに拉致される。いくら腕が立つとはいえ、長筒の鉄砲で狙われては従うしかない。

一方名主宅では気をもむ喜右衛門に、さとが「そんなに気に病まず……」とお茶を勧める。喜右衛門は悠長に構えるさとに怒り「腹を痛めた娘じゃないから、お前は心配じゃないんだろう」とののしる。
その言葉に無表情だったさとは一変する。喜右衛門は女を道具としか考えていない。名主の血筋を絶やさないためなら、人の心など微塵にも顧みない。
さとは積年の哀しみやくやしさ、辛さを一気にまくしたてる。喜右衛門の返事は、さとの頬への平手打ちのみ。
まあ、そういうことだろう。この男には、返す言葉などあろうはずがない。

土蔵では紋次郎へのリンチが行われている。「加代の居所を吐け。」とめった打ちにされるが、口を割らない紋次郎である。
音松たちもあの川岸の周辺を捜索したら、すぐに見つけられたろうになあ、と思うのだが……。やはり捜索は「足で稼ぐ」が基本であろう。

「どっちみち殺されるんだったら、言ったってしかたねえや。」
道理である。
居場所を答えたら、その場で殺されるに違いない。しかし紋次郎は、時間を稼ぐために口を割らないのではない。

一つは加代自身の宿命、「生まれ落ちた哀しみ」への共感。
紋次郎としては、この哀しみに打ちひしがれた加代を、もう少しそってしておいてほしいという気持ちがあったのではないか。
生まれ落ちた哀しみという部分においては、紋次郎の出生と重なる部分も大きい。
確かに紋次郎も自分の出生を知らされた時のショックは大きかった。以来口をきかない子どもになったぐらいだ。

そしてもう一つは「二足草鞋」への嫌悪感だと思う。何の落ち度もない渡世人を、闇討ちという卑怯な方法で殺した音松が許せないのだ。
アバンタイトルで、野垂れ死んだ渡世人と自分の行く末とを重ね、楊枝を吹き鳴らした紋次郎。
無常観漂うストーリーのオープニングであるので、やはり比重は大きい。
そしてもう一つ重ねたいのは、その卑怯な音松を操る名主への憎悪。
十手片手にお上の威信を振りかざす、家系存続のため使用人の将来をつぶす……どれもこれも権力に裏打ちされた暴挙である。
口には出さないが意地でも吐かない。無言の抵抗である。

私としては、加代に対する想いと、理不尽に殺された渡世人への哀れみとの比は、4対6ぐらいだと感じている。
普通の感覚なら、加代に対する同情がほとんどを占めるだろうが、私の中での紋次郎はもっとクールである。
これについては観る人によって感じ方が違うので、個々の受け取り方に委ねたい。

意地でも絶対口を割らない紋次郎に、リンチを加える側が疲れてしまい、紋次郎は土蔵に監禁される。
息が白くなるほど冷え込んだ土蔵の中、上半身の着物は脱がされたまま、柱に縛り付けられた紋次郎はぐったりしている。
そこへ加代が心を寄せているこの屋敷の作男、定吉が忍び込んで、「加代の居所を教えてくれたら逃がしてやる。」と持ちかける。いぶかしげな紋次郎に、定吉は真相を明かす。

幼なじみの定太郎に、加代を掠わせたのは自分だと告白する定吉に、紋次郎は「見当はついておりやしたよ。」と、平然としている。
私としては「えーっ!」である。
どんな見当がついていたのだ?この定吉とは初対面ではなかったか?ということは、因縁のあるお町の関係者の仕業ということは察知していたということか。恐るべし、紋次郎の推理力である。

第34話「和田峠に地獄火を見た」(後編)

復讐のために我が身を偽って近づき、機会を窺っているうちに娘と恋仲になってしまう……というのは「女人講の……」とよく似ている。女人講の巳之吉も今回の定吉も、娘を愛してしまい復讐することをあきらめようとする。
定吉の打ち明け話でいくと、加代とは親子ほど年が離れていることになる。話の設定としては年齢的にぎりぎりという線か。
定吉は加代に情が移ってしまい、自分の手では実行できないので人に頼んだというのだ。定吉は加代を掠ってから一体どうしようと思っていたのだろう。
何か釈然としないものがある。

この土蔵の中の照明効果がすばらしい。月明かりが入り、室内に黒い影が落とされる。傷ついた紋次郎の体が痛々しいが、光と影が本当に美しい。

「大映京都流の照明とは、多くのテレビのような、画面を見やすくするための照明ではなく、むしろ、描線を淡くさせる照明であり、それは画面を自然の情感に近づけるためのものである。そしてもう一つ、映像京都には大映以来の伝統で、撮影部にも照明部にも「魅力的な黒」こそが時代劇の画面を引き立たせるというポリシーがある。(中略)カメラマンも照明技師も、「自分なりの黒」を作れたときに初めて一人前なのだという。
『木枯し紋次郎』の画面もまた、「魅力ある黒」によって引き立っている。夕景の河原で風になびくススキの黒、遠くに見える山々の黒、月明かりに照らされた土壁の陰にできる黒、行燈に照らされた人物の影の黒……。」
(「時代劇は死なず!」より抜粋)

映像の中での黒は、本当に重要であることがよくわかる。

定吉も土蔵に閉じこめられてしまい、やむなく土蔵に火を放つ定吉。火が燃え上がる中を脱出するシーンは、他に「土煙に……」と「獣道に……」にある。
燃え上がる屋敷、逃げまどう使用人、半狂乱の名主夫婦。半鐘が鳴り響く中、紋次郎は音吉たちを斬り捨てていく。セットでの撮影だが、樹木が生い茂り違和感がない。
あんなに痛めつけられてぐったりしていた紋次郎だが、長ドスを手にすると見違えるほどの体の動きである。屋敷の中から出入り口をフレームとして、殺陣シーンが撮影されている。

遠くに屋敷が燃え上がるのが見え、定吉が加代を背負い紋次郎と歩いている。
定吉は、加代を自分の郷里に送り届けてほしい、自分は番所に行くと言う。加代は定吉の背中で「紋次郎さん、あたしや……定吉はどうしたらいいの?」と尋ねる。
「甘ったれるんじゃありやせんよ。……加代さん、おめぇさんはあの火付けは、木枯し紋次郎の仕業だと言いてぇんじゃねぇんですかい?」
「あっしのような者に、シミ一つ増えたところで、あっしには関わりのねぇことでござんすよ。」
紋次郎の声はいつになく、低く虚しい響きがある。
ゆっくり振り返り、加代の顔に向ける紋次郎のまっすぐな視線に、加代は思わず目をそらす。紋次郎に見透かされている心の内を、否定することもない。

堅気の者のエゴなど、紋次郎にとっては珍しくもない。無宿人は人間としての扱いをされないのはわかっているが、あまりにも哀しい。
紋次郎はおもむろに顔を上げ、楊枝を虚空に向かってまっすぐ飛ばす。いつもは何かに向けて飛ばすのに、今回は虚空。諦観の境地である。
動きかけた定吉の足許に楊枝が突き刺さり、二人は身動きを止める。
楊枝は『結界』となる。堅気の二人と紋次郎とは、所詮住む世界が違うのだ。
紋次郎は二人に背を向け去っていく。翻る合羽の風切り音が寂しく、チラリと見える錆朱色の鞘が、薄暗い映像の中印象的である。

今回も前回に引き続き、恋仲の二人は生き残る。今までのパターンでいくと、少なくてもどちらかは命を落とすことが多かった。ハッピーエンドとはいかないが、とにかくこの二人は手に手をとって生き延びるのだろう。
紋次郎が罪をかぶるにしては、火付けはあまりにも重罪である。本当に理不尽で、割に合わない。

エンディングのシーンは手ぬぐいを川で洗う、合羽を繕う、雨の中での斬り合い、うどんを掻き込む……紋次郎の日常シーンが、去りゆく孤影と重なり合う。
改めて、紋次郎は一人きりなのだと痛感し、泣けてくる。
学生の頃、授業で習った「咳をしても一人」を思い出した。他の詩は忘れたが、これだけは覚えている。(単に短いからではないです)

利用され、裏切られ、疎まれる……宿命とはいえいつも報われず、紋次郎の独り旅は今日も虚空の下で続く。

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Re: 第34話「和田峠に地獄火を見た」(後編)

是ほどまでの孤独な紋次郎の心の中は何を思っていたのだろうか。無限の寂寥感を覚えますね~。しかし格好が良いですね~^^

タイガース連勝で首位奪回良かったです。!
お祝いのメッセイジ共有したいです。!

  • 20100503
  • 荒野鷹虎 ♦-
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Re: 第34話「和田峠に地獄火を見た」(後編)

ありゃ、尾崎放哉が出てきましたね。
所詮、人間は皆「咳をしても一人」的なところがあるんでしょう。

兄弟姉妹とか友人とか夫婦などなど、仮の姿かも知れません。

そのような人間の本質を紋次郎が表しているのかもしれませんね。

だけど、このシリーズ読めば読むほどに不思議な世界との遭遇を感じます。

Re: 第34話「和田峠に地獄火を見た」(後編)

鷹虎さま、コメントをいただきありがとうございます。
ちょいと草鞋をはいておりやしたんで、返事が遅くなりやした。
許してやっておくんなせぇ。

無宿で天涯孤独……自分が死んでも、だれも哀しむ者がいない、自分が窮地に陥っても誰も助けてはくれない。
一言で「孤独」と表せないほど、壮絶で虚しくて哀しいモノがあります。
そんな境遇でも、絶対「自暴自棄」にならない紋次郎の芯の強さに、観ている者は魅了されるんですね。

タイガース、「三歩進んで、二歩下がる」ですね。旅の空の下で歯ぎしりをしてましたが、今日は勝てそうです!

  • 20100505
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第34話「和田峠に地獄火を見た」(後編)

小父貴の旦那、返事が遅くなりやして申し訳ございやせん。ちょいと中山道まで、足を伸ばしておりやした。

所詮、誰もが一人で生まれ一人で死んでいくもの……ニヒルに考えるとそうですね。

しかし考えようによっては、この世に自分というものは一人しかいない……ということでもあります。
「人は人、あっしはあっしということに、しておいておくんなさい」という台詞にも、それが表れていると思います。

自分はこの世に一人だけ……自分らしく、誇りを持って生きたいなあと思います。

  • 20100505
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第34話「和田峠に地獄火を見た」(後編)

なるほど、納得でヤンス。!
現世でも、強くはないが、境遇が似ている人がいることに、情けを捧げたいと思います。!
虎は夜陰で働くので、これからのナイターでは負けないでしょうね~^^

  • 20100506
  • 荒野鷹虎 ♦-
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Re: 第34話「和田峠に地獄火を見た」(後編)

鷹虎さま、いつもコメントをいただきありがとうございます。

自分が時々抱く、上っ面の同情に嫌気がさすことがあります。
同情というものの、どこか違うところから見ているというか、本当に同じ立場でものが見られているのか、と言われると否だと思います。

まだまだ修行が足りない身です。

まずは、一番身近な人の心を察することから始めたいと思っています。

  • 20100506
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第34話「和田峠に地獄火を見た」(後編)

「二足草鞋」への嫌悪感だと思う。何の落ち度もない渡世人を、闇討ちという卑怯な方法で殺した音松が許せないのだ。
****
これは、確かにそうですね。
私はこの作品をみながら、すごくいろいろ考えましたが、見る人によって、さまざまな印象があると感じます。
お夕さんの記事をみて、脚本を書いた菊島さんの描いたものがさらに理解できた気がします。内容は、確かに十分にこなれていない部分もあるという感じはあります。
この名手に、もう何本か、脚本を書いてほしかったなあという気になります。

「他人とは孤絶した存在としての紋次郎」、やはり、私自身は、そういう彼に、すごく思い入れがあって、この脚本家が描く紋次郎が、もっと見たかったなあと思います。

  • 20100507
  • 花風鈴 ♦-
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Re: 第34話「和田峠に地獄火を見た」(後編)

花風鈴さま、コメントをいただきありがとうございます。

菊島さんは、「女郎蜘蛛が……」も書いておられますよね。
あの作品の脚色は、原作より良かったように思いました。
お甲の設定の仕方、千代松は殺されずに片腕を斬り落とされる……など、考えさせられることが多かったですね。

今回は一から脚本作りをしなければならなかったので、難しかったと思います。

しかし、確かに紋次郎の本質は踏まえておられるし、それ以上に、観る人に紋次郎の真の孤独さを提示された点は、さすが名手だと思いました。

お甲役の北林さん、高求役の佐藤さん、
名優の相次いでの訃報に驚きました。
ご冥福をお祈りします。

  • 20100508
  • お夕 ♦wikz35BA
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