紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第37話「冥土の花嫁を討て」(前編)

第37話「冥土の花嫁を討て」(前編)

第37話「冥土の花嫁を討て」(前編)
(原作 第28話 1973.1月下旬)(放映 1973.3.24)
「小説現代」に掲載されて2ヶ月後に放映という綱渡り状態の作品である。原作は10月という設定であるが、放映は3月。
従って紋次郎たちが遭遇する自然災害は大雨ではなく、雪崩という違いが出てくる。苦しい脚本の変更ではあるが、それもやむを得ない。

アバンタイトルは、茶店の娘が息を切らせて走ってきて、道中姿の武士を呼び止めるシーンから始まる。
「もうすぐお侍さんが捜していた男が来る。頬に刀傷があり、年は三十過ぎ……」
と娘は話すが、視聴者は明らかに紋次郎のことだとわかる。
原作では、知らせにやって来るのは宿人足。褌に襦袢だけの四十過ぎの男……やはり映像的には茶店の娘の方がよい。

武士が見やる山道の向こうから、三度笠姿の紋次郎が近づいてくる。
武士は急いで身支度を、戦闘モードに整える。たすきがけをし、額にはちまき、刀の柄に唾を吐きかけ手から滑らないように念を入れる。
……これってもしかして、仇討ち?……
なんで紋次郎が、武士から仇と目されるのか?と首をかしげた直後、主題歌が流れる。

主題歌の後、武士が水たまりを蹴散らして、紋次郎目指して疾走するシーンが映し出される。武士は紋次郎の前に立ちふさがり、声高に、「土橋征之進だ!」と名乗る。
「父の殺害、縫殿をかどわかし逃亡……許せん!」
と凄い剣幕である。一方紋次郎は、全くの無表情で対照的。
「親の仇を討つのは武士の道。観念しろ!」
問答無用に斬りつけてくる征之進の刀は、紋次郎の合羽を切り裂く。紋次郎は長ドスを抜かず、ひたすら体をかわし続ける。刀が空を斬る音は鋭く、征之進の腕前もなかなかである。

この征之進役は「横光勝彦」さん。征之進の生真面目さがよく出ている。
現在は「克彦」と一字変え、衆議院の民主党の議員職。奇しくも将来、政界に身を投じることになる二人が、対峙したことになる。
先日民主党の集まりの中、壇上に横光氏をチラリと見たが、精力的に政治活動をされているようだ。

紋次郎を「小平太」と呼び、「年の頃は三十、背丈があり、左の頬に刀傷」と外見がそろっていると言う。
「捨てても惜しい命とは思いやせんが、人違いで斬られるのは真っ平ごめんにござんす」
この台詞は紋次郎らしい。

「小平太」と言う名前を聞いて、物陰でこの騒動を見ていた男がハッと気づき走り去る。この男は原作には登場しない。
小平太を仇とする征之進の出現を当の小平太に知らせに行く。
男が走る棚田は「峠に哭いた甲州路」で、紋次郎が一気に駈け上がった所だろうか。よく似ている。

足早に歩く紋次郎の後を征之進はついて行く。見物していた酔っぱらいの男、旅姿の一人の女も同じ道を行く。
芥川氏のナレーションで「中津川、細久手、大久手、大井、十三峠」などの地名が出てくる。
原作にも出てくるが、このあたりの木曽路は幅が狭く険阻な悪路が続くとある。

実際かなり急な山道を紋次郎はサクサクと上っていく。その少し後ろに征之進。
ここから後の話はしばらく、テレビ版だけのオリジナルとなる。

第37話「冥土の花嫁を討て」(前編)

見通しの悪い道の陰から、急に小平太の子分たちが何人も飛び出し、紋次郎に斬りかかる。その時の紋次郎の反応は実に素早い。狭い山道の撮影であるので危険が伴う。斬られ役の役者さんも大変だったろう。
征之進も斬りつけられるがかわし、難を避けた…と思いきや急に苦しみ出し、バッタリ倒れる。「おこり」の発作である。
紋次郎は躊躇なく、大柄な征之進をヒョイと担ぐと坂道を行く。
担ぎ上げるだけでも大変なのに、短時間ではあるがふらつかず登れる中村氏の足腰の強さは大学野球で鍛えた賜物か。

紋次郎は征之進をおろし、枯れ草を集めて火をおこそうとするが、なかなか火がつかず、振分け荷物から新しい草鞋を出して燃やす。
「おこり」には体を温めるのがいいということである。
「仇として斬りつけたのに、すまん」と謝る征之進に
「済んだことはあっしにはなかったことと同じで……」
と、紋次郎は相手に気遣いさせたくない様子である。

旅の身にあるとはいえ、武士が無宿の渡世人に手をついて謝るなど普通は考えられない。
征之進の、実直で誠実な人柄がうかがわれる。

「地べたで冷えると、ますます体に障りやすぜ」
とたき火にあたるように勧める紋次郎。

紋次郎はなぜ、ここまでこの武士に親切なんだろうか。人違いをされて殺されかけ、その上待ち伏せされて襲われて……。この征之進はどちらかと言うと「疫病神」なのである。

「まだ疑っていたのに助太刀までしてもらい、かたじけない」
と言う征之進に
「あっしは自分の身を防いだだけのことで……」
と、恩着せがましいことは一切口にしない紋次郎である。

「本懐を遂げるまでは石にかじりついても生きたい」
と言う征之進に、
「過ぎた日の恨みを、生きる支えにしていなさるんですかい」
と紋次郎は少し批判気味である。
紋次郎は「済んだことはなかったことと同じ」としか思っていない。
「水車は夕映えに軋んだ」でも、許嫁を殺された意趣返しを続けるお縫(偶然同じ名前)に、「もう忘れてやりなせえ」と諭す。

征之進は自分の身の上を語る。紋次郎はひたすら聞き役。紋次郎を前にすると、どういう訳か誰もが身の上話をしたくなるようである。

屋敷にいた渡り中間の小平太が、征之進の許嫁の縫を手籠めにしようとしたところを征之進の父に見とがめられる。
すると小平太は父親を殺し、縫をさらって逃亡したというのだ。
その時の傷が左の頬にあるらしいが、征之進は小平太の顔を見たことがなく、それどころか縫の顔も知らない。江戸詰中に決まった縁談なので、全く相手がわからないということ。
しかし、自分の伴侶は縫と決めているという頑なさで一途である。

征之進は紋次郎に「長旅のめあては?」と尋ねるが紋次郎は「あっしはただ通るだけの旅、あてはござんせんよ」と答えるのみ。
「あても支えもなく、難儀な旅をしているというのか」
と征之進は理解しがたい様子。
「仇討ちの旅でもあてのねえ旅でも、生きているうちは続けるしか仕方のねえようで……」

紋次郎の旅は目的ではなく生きる手段であり、生活そのものなのである。生きていることが旅なのであり、旅が終わることは「死」を意味する。
「ひょっとすると、お侍さんもあっしも、同じ道を行くのかもしれやせんねえ」
同じ道を行くとはどういうことか?行き着く道の先は同じく「死」、ということか。
(中編に続く)

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Re: 第37話「冥土の花嫁を討て」(前編)

>紋次郎の旅は目的ではなく生きる手段であり、生活そのものなのである

今日、読ませていただいて思うことは、笹沢左保氏が、木枯し紋次郎という姿形を借りてひとつの人生観を述べているんだな~ということです。笹沢哲学が流れているところにこのストーリーが大きな共感を呼んだんでしょうね。

元野球選手とか二人とも議員さんとかの面白いエピソードを有難うございました。

Re: 第37話「冥土の花嫁を討て」(前編)

小父貴さま、コメントをいただきありがとうございます。

仰る通り、紋次郎の作品には、哲学とも言える深く重いものが根底にあります。
そして、それは笹沢氏の死生観とも言えます。
ただのヒーローものではないんですね。

そこが何度も読みたくなる魅力なんでしょう。
読んだ年齢によっても、感じるものが違います。自分の人生と重ねるからでしょうね。

  • 20100621
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第37話「冥土の花嫁を討て」(前編)

いつ読んでも、紋次郎の人を恨まぬ、人生感には打たれますね~^^旅そのものが、彼の人生なのかもね。人間の孤独感が今の時代にも通じます。!☆

  • 20100623
  • 荒野鷹虎 ♦-
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Re: 第37話「冥土の花嫁を討て」(前編)

鷹虎さま、コメントをいただきありがとうございます。

征之進の報われない死に、紋次郎は自分を重ねたのかもしれません。
信じるものに裏切られることの哀しさは、ひしひしと感じますね。
その哀しさをよく知っているので、紋次郎は誰をも信じないのでしょう。

  • 20100624
  • お夕 ♦wikz35BA
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