紋次郎気質

1972年、一世を風靡した中村敦夫演じる木枯し紋次郎。笹沢氏が生み出した紋次郎とを比較しながら、紋次郎の魅力に迫ります。

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第37話「冥土の花嫁を討て」(中編)

第37話「冥土の花嫁を討て」(中編)

第37話「冥土の花嫁を討て」(中編)
(原作 第28話 1973.1月下旬)(放映 1973.3.24)
二人が小平太の子分に襲われたり、征之進が「おこり」の持病があったり、紋次郎がその征之進を助けたり……という設定は原作にはない。

紋次郎と征之進が進む先には、さっきの酔っぱらいの男がいて、何かとうるさくつきまとう。
雪が降り始め、それを避けるように女が三人かたまって座り込んでいる。一人は仇討ち騒ぎの時見物していた玄人風の女、一人は尼さん、そしてもう一人は堅気風の女、これが「樫山文枝」さん。清楚な感じの女優さんである。
崖崩れで大井宿まで行けないし、雪が激しく降るし……ということで、酔っぱらいの男が崖下の空き小屋に案内する。
原作では豪雨に見舞われて、ということになり小屋に入る人間はテレビ版より男が一人多く7人。原作では10月であるので、この大雨はいわゆる雨台風であろう。

児玉幸多氏の著書「宿場と街道」を読むと興味深いことが書かれていた。

天保7年に本草学者大窪昌章が、木曾方面に藩命で旅をしたときの記録が残っている。八月のことである。

「……その間の大雨で、妻籠と馬籠の間は山抜けして橋が半分落ちて廻り道をする。落合の橋も流れて……(中略)……中津川の橋も落ち、川下へ一里ほど廻って大井宿に出る。大久手宿では、入り口の山が大風で崩れ、小屋五軒を押し崩し、七十余の老女が死んだ。……(後略)」

実際この付近は川がよく氾濫し、崖崩れも多々あったようである。作者笹沢氏は、そのあたりも良く調べておられるということがわかる。史実では天保7年、小説では10年との違いはあるが、笹沢氏はこの資料を読んで自然災害に遭遇するというストーリーを考えたのかもしれない。
原作では豪雨を避けるために入った小屋は「法師茶屋」。
木曽川の支流、大井川近くの岩棚にある、休憩所のような無人の小屋である。増水した大井川の水面がどんどん小屋に迫ってくるといった恐怖の中、小屋の者たちの人間模様が描かれている。

テレビ版は、吹雪。小屋の中で酔っぱらいの男は自分のことを語り始める。名前は「うわばみの卯兵衛」。木曾谷の伯楽の頭で、何人もの若いモンをあごで使っていると、威張って大酒を喰らっている。
この後、女たちの身の上が語られる。
玄人っぽい女は「お時」といい、御嵩で酌女をしているが元は武家の娘だったと語る。
二人目の堅気風の女も武家の娘で名前は「お咲」。連れ添った亭主が鬼のようなひどい男で、そこから逃げてきたという。大井宿の旅籠で下働きでもしようと、道中しているという。

三人目の尼さんは「妙心」。三井寺まで修行に行くというが何やら訳あり。卯兵衛をもって「尼さんこそお武家の娘だ」と言わしめるくらい気品があり、格式高い武家出身の趣がある。
「過ぎた昔のことでございますから……」と目を伏せるということは、認めたということである。

三人の女の中では樫山さんが一番知名度があるので、お咲がこの後、キーポイントになるということが明らか。
三人とも知名度がある女優を揃えるということは、最終回の一作前ということもあり、ギャラを考えると無理であろう。

原作では、三人の女が武家出身という設定はない。
テレビ版は、この三人の中に征之進の許嫁の縫がいるかもしれないという趣向だが、配役からすると「丸わかり」である。原作のように淡々と進める方が良かったと私は思う。

第37話「冥土の花嫁を討て」(中編)

それぞれが身の上を話す中、紋次郎だけはその輪に入らず、一人黙々と征之進に斬り裂かれた合羽を器用な手つきで繕う。「流れ舟は帰らず」で繕っている姿以来、二度目。
お時が、私がやってあげるとの申し出に
「てめぇのことは、てめぇでいたしやす」
と、とりつく島もない。
「旅人さん、その長楊枝はなんのおまじないだい」
「こいつはただの癖ってもんで……」
そっけない返事にお時の「変な癖だねえ……見てると田楽でも食べたくなるよ」の返しはお笑いである。
このあたりの台詞はテレビオリジナルである。

テレビ版はこの後雪崩が起こり、小屋から脱出不可能となる。この先、もう一度雪崩が起こったら、小屋は跡形もなく押しつぶされるという恐怖が続く。
原作は豪雨により大井川が増水。小屋にどんどん水が上がってきて最後は濁流に呑み込まれ溺れるか、岩礁に激突し頭を割られて命を落とすか。
どちらかを選べと言われても、どちらともお断りしたいが、私は原作の水位がジワジワ上がってくる方に、より恐怖を感じる。
原作には、テレビ版にはない商人の男が一人含まれている。この男は泳ぎが達者だからと夜の濁流の中を飛び込み、あっという間に流され、岩に激突して水中に没する。

原作もテレビ版も密室劇である。死への恐怖からみんな苛立ち、平常心を失っていく。
比較的落ち着いているのは征之進。紋次郎だけは全く動じていない。

「渡世人には、明日という日がござんせん。今日がいつも、おしめえの日だと思っておりやすんで……」
原作と同じ台詞だが、原作ではその前に
「なるようにしかなりやせん。そう思っているだけでござんす」
と答えている。

「なるようにしかならない」
大自然の猛威には、所詮、人間の力など取るに足らないものなのである。要するに、腹をくくってジタバタしないということなのだ。
死ぬときが来たらどうあがいても死ぬだろうし、生き延びようと思わなくても、命を長らえることもある。結局は「なるようにしかならない」のは真理であり、無我の境地なのだ。

テレビ版での征之進は、尼僧の妙心が自分の許嫁の縫ではないか、と感じる。
「親の仇討ちで命を落とさないでほしい」とか「成就するようお祈りします」など、征之進の身の上を心配するし、おこりの発作で苦しむ征之進に薬を分け与える。
一心不乱に経を唱える妙心に征之進は、縫に購ったという扇子を見せて「見覚えはないか」と尋ねる。しかし、このあたりから妙心の精神は壊れかかっている。
小屋の中のたき火が消えるのと同時に、妙心はけたたましい声をあげて笑い、とうとう狂ってしまう。

「仏に仕える身で、どうして死ぬことが怖ろしいのであろう」
「弱えからでしょう」
「何かにすがり頼ろうとするのは弱いというのか」
「頼れる者は手めえだけでござんす。その手めえに頼れなくなったら冥土から迎えがくるんじゃねえんですかい

ここで初めてタイトルの「冥土」という文言が出てくる。

紋次郎と征之進が会話している間に、妙心は小屋の窓から身を投じ悲鳴と共に崖下に墜ちていく。
テレビ版の崖に転落も怖いが、原作はもっと不気味である。
暗い水の中、笑いながらフラフラと歩き、丸太の柵を越えようとする妙心を、止めなくてもいいのかと征之進は問う。
紋次郎の答えは「狂っちまえばもう死人と変わりねえ……」である。一見冷たい答えであるが、これも「なるようにしかならない」のである。
しかしこの台詞は絶対にテレビでは流せないだろう。
妙心は闇の中、濁流に流され姿を消す。
征之進は「自分も弱い人間だ。親の仇も討てずここで命を落とすくらいなら、潔く腹を切るしかない」と呟く。
(後編に続く)

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Re: 第37話「冥土の花嫁を討て」(中編)

最期の部分が強烈ですね。

自然の恐ろしさが描かれ、紋次郎の生き方が繰り返され尼僧が狂い自ら身を投じてしまう。

このような時代、それも「なるようにしかならない」運命の摂理というのは真理のような気がします。

普通の人間を超越した紋次郎が悟りをひらいた僧のようにも感じられます。

Re: 第37話「冥土の花嫁を討て」(中編)

小父貴さま、コメントをいただきありがとうございます。
毎回いただいて、恐縮しております。

極限の中でこそ、本当の生き様が見えてくるんですね。

紋次郎はどこにいようが、どんな局面であろうが、慌てるということはありません。
常に死と隣り合わせにいるという、覚悟があるからなんですね。

仏語では「迷いを脱し、真理を悟ること」が、覚悟だということです。
まさに紋次郎の姿勢そのものですね。

  • 20100625
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第37話「冥土の花嫁を討て」(中編)

いつもおもいますが、本当に「紋次郎」を愛されていて読みこまれていらっしゃるんですね。(今さらこんな事コメントして、ごめんなさい。)
TVとの比較ができるって、おもしろいでしょうね。私はへー、ふ~ん、おもしろいな、と読ませていただくだけで、あと、写真の美しさを楽しませていただいています。でもお夕さんのブログの味大好きです。落ち着いていて日本人の真髄のようにおもいます。

笹沢氏はよくTVに出られていた記憶があります・・・。気さくな方なのかな?

  • 20100627
  • てのりぱんだ ♦C/Rcg83E
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Re: 第37話「冥土の花嫁を討て」(中編)

てのりぱんださま、コメントをいただきありがとうございます。

市川監督監修のテレビシリーズも、この回を含めてあと2回となりました。
長かったような、短かったような……。
「新 木枯し紋次郎」については、どうしようかなあ、と思っています。

笹沢先生は、ストレス解消のため、よくテレビには出演されていました。
「新……」のドラマでは、「国定忠治」役で出演もされました。なかなか芸達者な方で、演技も味がありましたね。

いつもご訪問いただき、本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

  • 20100627
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第37話「冥土の花嫁を討て」(中編)

こんばんは、お邪魔いたします。
映像や小説の中で時々語られる紋次郎の台詞には、私自身、ずいぶんと救われた経験があります。
紋次郎気質のホームページ全体が、言葉を吟味して、丁寧に語られているのが伝わってきます。
写真もきれいで、内容にぴったりです。
今日偶然、NHKテレビで樫山文枝さんナレーションの自然紀行を見た後、続けて笹沢左保先生のインタビュー番組が流れてきてびっくりしました!
再放送だったんですが、ご自分の人生観や病のこと、紋次郎のことをお話されていて・・・感慨深かったです。
お夕さんの文章と合わせて、また紋次郎のことを深く知ることができた気がしました。
後編も楽しみにしています!


  • 20100627
  • 百合子 ♦-
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Re: 第37話「冥土の花嫁を討て」(中編)

百合子さま、コメントをいただきありがとうございます。
紋次郎の台詞は、どれもホントに素敵ですね。
無駄がなく、研ぎ澄まされた言葉が選ばれています。
ドラマと原作の台詞が、ほとんど同じなので、笹沢先生は脚本を書かれても超一流だったのでは……と思いますね。

NHKテレビで放送があったんですか?
私も見たかったです。
笹沢先生は闘病生活を送りながらも、文筆にかける情熱はずっと失われない方でした。

また、インタビュー内容をお教えいただけるとありがたいです。

  • 20100628
  • お夕 ♦wikz35BA
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Re: 第37話「冥土の花嫁を討て」(中編)

はい、笹沢先生のインタビュー内容ですが、再放送用に10分程度に編集されたものでした。
私の記憶力もかなり落ちてきているので(汗)、がっかりさせてしまったら、ごめんなさい。
帰って来た木枯らし紋次郎は5回目の手術の後に書き始められたものだそうで、38才になった紋次郎はあまり人を斬らなくなっている・・・とのナレーションがあり、笹沢先生が「年齢を重ねた紋次郎には人情がある、義理人情の義理はないけど人情が。病気で入院している人も読むかもしれない、病気の人にも喜んでほしいと思ったから」というようなことをお話されていました。
ああ・・・記憶力が・・・↓↓↓
ごめんなさい、少しでもお役に立ちましたら嬉しいです・・・。

  • 20100630
  • 百合子 ♦-
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  • 編集 ]
Re: 第37話「冥土の花嫁を討て」(中編)

百合子さま、ご丁寧にお教えくださってありがとうございます。

「帰って来た……」の紋次郎には、いぶし銀のような生き様の魅力があります。
どの作品にも深く静かな諦観がうかがえ、歳を重ねた貫禄も感じられます。
それは作者である、笹沢先生の諦観でもあったんですね。貴重なお話、ありがとうございました。
若いときの派手さはありませんが、こういうシリーズのドラマ化もいいんだけどなあ、と秘かに思っております。

  • 20100630
  • お夕 ♦wikz35BA
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  • 編集 ]
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